古代や中世のように、人間と神仏を比べると、「人間よりも、神仏の方が圧倒的に上」というような価値観や、神仏を拠(よ)り所にした道徳や戒律が、近現代に入ると、どんどん衰退し、廃れてゆくようになってゆきつつある
それでは、現代では、多くの人々は、一体、どのような神仏のイメージを持つようになっているのか、というと、これは、現時点では、世界共通の価値観としては、まだ、それほど、はっきりとは、明確になっていないような概念なのですが、私が見るところ、現代の多くの人々は、大体、次のような二つの神仏の概念を持っているようです。
まず第一には、神仏というのは、何だかよく分からないところも多いのだが、普通の人間よりも、ものすごく偉い、人間を幸せにしてくれるような存在である、ということであり、第二には、これも、本当は、理由は、よく分からないようなところがあるのですが、何だか、よく分からないが、神仏から与えられた、戒律や道徳のような、何らかの決まりのようなものを守っていると、より良い人間になれるらしい、というような内容なのではないか、と私は思います。
ただ、これは、ほぼ単なる推測、というか、これまでの歴史的な経過からの、単なる予測に過ぎないのですが、現在の推移であると、この二つの神仏の概念というのは、それほど遠くない将来には、両方とも、なくなってしまう可能性が、非常に高い、ということなのです。
その理由は、極めて、単純なのですが、まず第一には、私の知る限り、人類のここ数百年の歴史の経緯を見る限り、神仏の立場というのは、一昔前の時代のように、神仏と人間を比べると、「人間よりも神仏の方が、遥かに絶対的に上」、というような価値観は、どんどん変化しているので、それゆえ、時代が近くなるにつれて、そうした神仏の地位、というか、偉さというのは、どんどん低くなってきているように見えるからです。
第二には、これも、同じように、私の知る限り、ここ数百年の歴史の経緯においては、宗教的な道徳や戒律というのは、どんどん緩くなり、廃れてゆく一方であったからです。
こうした時代の変化の経緯から、私は、現在のままの状況であれば、それほど遠くない将来、こうした神仏という概念は、やがて、だんだん、なくなってゆく可能性が、現時点では、非常に高くなってきているのではないか、というように考えております。
現在の推移においては、別に現在のまま、神仏のポジションが低下していっても、それほど、大きな問題は起きない可能性の方が、非常に高い
そうすると、そうした神仏のような存在がいないとすると、人類は、本当に秩序正しく、平和で幸福な生活を、末永く続けてゆけるかどうか、ということが、次には、問題になってくるのですが、これに関しては、次のような二つのことが言えます。
まず第一に、単に、多くの人々の最大幸福の実現という観点から考えるのであれば、私の見る限り、知る限り、おそらく、古代や中世の人々よりも、近現代の人々の方が、物質的にも、また、精神的にも、ずっと豊かで幸福な生活をしているように見えるので、はっきり言って、そうした観点から見る限り、別に、現在の推移のまま、神仏のポジションが低下していっても、さほど問題は起きないのではないか、ということです。
第二には、これは、残念ながら、切実な問題点になってくるのですが、ところが、もし、この世界に神仏のような存在がいて、この世界を、人間には、よく分からないような非常に高度な手法でもって、影から、いろいろな管理をしたり、人間への指導をしていた場合には、そうした神仏のような存在に、なるべく近い知識や技術や精神性を、多くの人々が、身に付けられない場合には、当然のことながら、この世界の維持はできずに、この世界自体が滅んでしまう可能性がある、ということです。
残念ながら、この問題についての結論は、ここでは、はっきりとは言い兼ねるのですが、私が予想するところ、まだ、現時点では、それほど大きな問題は出てきていないようなので、おそらく、そうした神仏のような偉大な存在が、本当にいた場合には、現在の神仏の概念に代わる、新たな価値概念の提唱と、それによる世界の変容をもたらす可能性が、非常に高いのではないか、というように、私は考えております。
追伸
要するに、昔の神仏に代わるような、人間よりも、遥かに偉大な存在の概念として、宇宙人やUFOのような存在を持ち上げようとするような、闇の勢力の陰謀があるのですが、これは、宇宙人情報に通じている方は、よくご存知だと思うのですが、そうした外宇宙、もしくは、異次元領域から、やってくる存在であったとしても、たとえ、彼らの方が,科学的にも、精神的にも、遥かに上であったとしても、彼ら自身としては、現在の地球上によくありがちな宗教的な価値観とは、全く違って、「自分達を、神仏のように崇め立てろ」、とか、「人間は、何でも自分達の言いなりになるべきである」、というような価値観は、原則、一切、持っていない、ということなのです。
それゆえ、現在の地球の社会において、時々,見られるような、「宇宙人やUFOのような存在を、神やキリストのように崇めるべきだ」、とか、「彼らの何でも言われた通りにすればよい」、というような、現在の地球によくありがちな宗教形態による一種の「宇宙人教」のような考え方に関しては、これは、原則、宇宙的な光の勢力の活動とは、一切、関係ない、ということが、ここで伝えたい趣旨になります(この文章は、再度、宇宙人やUFOに関するQ&Aのところにも、載せておきます)。
ところで、今日、6月3日で(この日にちに、霊的な意味は、一切、ありません)、このブログが発表されるようになってから、ちょうど一年となります(パチパチ・・・・)。
お陰さまで、それぞれの記事の長さは、いろいろなのですが、現在の時点で、もう470ぐらいのいろいろな記事が載っています。
正直言って、このブログを書き始めた時には、「これって、すごく難しい内容なんだけど、こんなもの説明して、ついて来れる人いるのかな?」、とか、「これって、すごい専門的な内容が多いんだけど、まあ昔の知り合いが、たくさんいるはずだから、そのうち、見つけて、読みに来てくれるかな」、みたいな感じだったのですが、現在の時点では、結構な人数の方に読んでいただいているようなので、私としては、それなりに、とても満足しております。
ただ、最初の考えと違ったのは、このブログを載せ始めた以降も、プロフィールの話と違って、結構、ものすごく大変なミッションが、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・(以下省略)と、続いたので、正直言って、よくこれだけ続いたな、というのが、正直な感想になります(私は、努力すれば、避けられるような未来の話は、ともかくとして、あまり大変な避けがたい未来の運命の予測については、自分についても、他の方についても、原則、表面意識の方では、考えない、言わないことにしています)。
ただ、もう少しすると、少し切れ目が出来そうなので、そうしたら、もう少し、交流関係を広めようかな、などとも考えております(私は、本当に、とんでもない連中以外の人に対しては、それほど怖い人ではありません)。
これは、関係ない話なのですが、これは、日本語で書かれているブログになるのですが、一応、いろいろな国の海外の人が読まれているのは、国別のアクセス数で分かるのですが、この前見た時に、「一部のアメリカ人が読むのは、分かる」、「一部のヨーロッパの国々で読む人がいるのも分かる」、「それから、オーストラリアとか、ニュージーランドで読む人がいるのも分かる」、「中国やインドで読む人がいるのも分かる」、「だけど、ソマリアで読む人って、一体、誰だ?」、というようなことがありました。
確か、ソマリアと言えば、日本だと内戦と海賊行為が有名ですが、最近だとインターネットも徐々に発達してきている・・・、などと一部のネットで説明していたようなので、それでかもしれない、などと、今、何となく理解しました。
ついでに、これも関係ない話なのですが、たいへん忙しかったにも関わらず、私も少し広告でもつけてみようと思って、右側に広告欄を増やしたのですが(当時)、このブログの傾向としての「神聖的世俗主義」、というか、「理想家的現実主義」の傾向を反映してか、もともと、「あら、結構、刺激的な広告が多いな」、とは思っていたのですが、最近だと、源氏物語とか、書いた辺りから、さらにエスカレートして(記事の内容を反映?)、「不倫」、とか、「♡♡」なマンガや、恋愛の広告が、いっぱい出るようになっているので、ちょっと驚いています。
調整が面倒臭いので、多分、そのまま何が出るのか、私には、あまりよく分からないのですが、もし、このブログとあまりにも内容が合っていないと思う方は、適当に目を流して、見ないようにしてください。
以上です。
Cecye(セスィエ)
2011年6月3日 9:22 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観