前回、宇宙人やUFOと、神やキリストは、原則、全く関係ないというような話をしたので、今回は、さらに、その補足のような説明を続けたいと思います。
古代や中世において、多くの人々が考えていた「神仏」のイメージと、近現代において、多くの人々が考えている「神仏」のイメージというのは、実際問題として、かなり大きく様変わりするようになってしまった
それでは、神やキリスト、あるいは、仏陀やアッラーと呼ばれる存在は、宇宙人なのか、というと、これは、見方が難しいので、そう簡単には、断定できないのですが、現代のような天文や宇宙物理学の知識が、ほとんど皆無であった、古代や中世に発祥した、そうした宗教における神仏のような存在と、そうした天文や物理学の知識が、一般の人々にも広く知られている現代の時代では、これは、はっきり言って、申し訳ないのですが、そうした神仏の定義そのものが、現実問題として、すでに全く違うものにすり替わってしまっている、ということです。
つまり、古代や中世の神仏とは、基本的には、空の上、もしくは、天高い雲の上に、神様や仏様のいる天国みたいな世界があって、その天国と地上の世界を統べる、偉い神様や仏様がいる、というような神仏のイメージだったのではないか、と思われるのですが、ところが、近現代になると、宇宙には、本当に無限に近い星々があって、地球というのは、その中のほんの片隅の、小さな天体の一つに過ぎない、とか、宇宙は、真っ暗で、物理的には、空の上には、どこにも天国みたいな世界は,存在していない、とか、確かに昔の時代には、極楽浄土への招待や、最後の審判以降の、遥か未来の天国での生活は、ものすごく魅力的に見えたのだが、近現代に入って、地球全体が、物質的に非常に豊かな世界に様変わりしてゆくようになると、多くの人々の実際の本音としては、そうした宗教的な魅力というのは、だんだん、すっかり、か細いものに大変化してしまった、ということなのです。
つまり、古代や中世の神様や仏様のイメージというのは、簡単に言うと、天高くにいて、多くの人々を愛深く見守りながら、いろいろな高度な判断ごとをして、それから、人間の死後、もしくは、ずっと先の未来に、最後の審判をして、天国に行く魂と、地獄に行く魂を分ける、というようなイメージが、非常に強かった、ということなのですが、ところが、近現代に入ると、天高い世界というのは、真っ暗な広大無辺の宇宙空間で、どこにも天国みたいな世界はなかった、とか、神仏の守護を求めるよりも、よほどの大変な状況にでもならない限りは、多くの人々の助けや指導を受けた方が、手っ取り早く、物事を解決できる、とか、人生が、ほとんど運任せだった昔の時代とは、すっかり変わって、近現代に入ると、たいていの人は、自分の努力相応の出世や経済力を身に付けられるようになった、とか、偉い宗教家の話を聞くしかなかった昔の時代と比べて、現代だと、たとえ、霊界や死後の世界のことであっても、いろいろな科学的な手法で探求し、見聞を広められるようになった、というような時代に移り変わってしまったので、これは、はっきり言って、申し訳ないのですが、最近では、そうした古代や中世の時代における神様、仏様のイメージというのは、もうすっかり時代遅れのものに変化してゆきつつある、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年6月2日 9:26 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観