今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。
いくらでも無数の真実や実在が成り立つ、高次元宇宙の不思議 Part 2
ところが、こうした事実は、現在の私達地球人に対して、かなりの混乱や不信感を与える直接の原因となっていて、それというのは、このような形で、高次元の光の宇宙領域では、それぞれの人間や生き物の個々の主観や世界観によって、いろいろと変わった大きさや性質や状態の宇宙というか、世界が、いくらでも無数に成立してしまう、ということになるので、そうすると、現在の地球人の感覚としては、こうした高次元の光の宇宙領域に関する、さまざまな知識や情報をもたらしてくれるような、いわゆる、宇宙人や異次元存在達の話というのが、たとえば、ある存在は、Aと言ったかと思うと、別のある存在は、Bと言い、さらに、別のある存在達は、CやDやEと言う、などというように、常に常に、お互いに異なり、相矛盾する、というような始末になってしまいがちであったのです。
その結果、地球人の感覚としては、こうした外宇宙や異次元世界から、次々と、もたらされる、高次元の光の宇宙領域に関する知識や情報というのが、いつまで経っても、かなり、あやふやで怪しい、インチキの、いい加減な作り話のようにしか、聞こえなくなってしまいがちになってしまっていた、ということなのです。
それゆえ、こうした高次元の宇宙や世界に関する理解の仕方としては、一般的な地球人の見方のように、「常に、たった一つの絶対的な正しい真実がある」、とか、「常に、たった一つの客観的な実在がある」、などというような認識をしていると、はっきり言って、いつまで経っても、全く、らちが明かないようなところがある、ということなのです。
実際、外宇宙における一般的な見方や考え方としては、地球人のように、「常に、たった一つの正しい答えがある」、とか、「常に、真実は、ただ一つである」、というような認識の仕方は、基本的に、一切、なくて、そうではなく、これは、地球でも、やがて、科学の発達した未来の段階では、ほとんど同じように考えるようになるはずなのですが、「Aも正しければ、それとは、いっけん、相矛盾するBも正しい」、とか、「その人の状況や立場によって、Aが、真実になることもあれば、あるいは、その反対に、Aが、間違いで、BやCが、真実になることもある」、などというような地球の宗教で言うところの、ほとんど「唯識論」や「唯心論」(自己の主観や考えが、自分の周りのすべての世界を形作っているというような思想)のような認識の立場をとっている、ということなのです。
このように、現在の地球から見た外宇宙の様子と、それ以上の五次元以上の高次元の光の宇宙領域から見た外宇宙の様子とでは、まず第一に、宇宙全体を非常に宏大であるとは感じても、どこであっても、基本的に、まるで隣近所のように身近に感じられる、ということや、第二には、とにもかくにも、そうした高次元の宇宙領域の状態と、現在の地球から見た宇宙の状態が、まるで鏡に映したかのように、完全に逆さまの状態でもって認識されることや、それから、第三には、そうした高次元の宇宙領域においては、地球のような、がっちりとした硬い物質的な存在の観念がない上に、その上、「あれも正しければ、これも正しい」、というような非常に多様なバラエティーのある世界観や宇宙観が成立している非常に変わった世界である、というようなことが言えるのですが、それもこれも、元をたどれば、現在の地球の次元的な状況が、高次元の光の宇宙領域から、波動低下して、次元陥没してしまったような、典型的なブラックホールの中の暗黒領域に存在しているからであったのです。
それゆえ、そうした低次元の暗黒領域から眺めた外宇宙の姿というのは、それ以上の高次元の光の宇宙領域から見た宇宙の姿とは、基本的に、全く異なるような、非常に殺風景な不思議な風景になってしまう、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年5月19日 9:03 PM, アセンション・シリーズ 4