2、たとえ、どんなに素晴らしい経済政策であったとしても、早急に大規模な改革を進めようとすると、結果として、その社会は大混乱に陥ることが多い
第二には、これは純粋に経済的な理由になるのですが、その時点において、その国の大多数の人々が、大変な貧困状態や経済状況にあるというような特殊なケースを除いて、どんなに素晴らしい経済政策であったとしても、何でもかんでも、あまり早急に大規模に行うのは、たいてい大失敗や大混乱を招くことが多いので、基本的には避けた方がいいということです。
①実際の多くの人々の仕事や生活の様子を考えずに、政治権力の行使をあまりにも強力に行いすぎると、結果として、その社会全体が大混乱に陥ってしまうことがある
その理由は簡単なのですが、まず第一の理由は、とにもかくにも何らかの政治権力の行使というのは、その時点のその社会において、その良し悪しはともかくとして、何とかある程度、経済的なバランスを保って維持されている多くの人々の仕事や生活に対して、非常に大きな影響を与えることになるので、そうした政治権力の行使というものを、多くの人々の実際の仕事や生活の様子も考えずに、あまりにも強制的に大規模にやろうとすると、そうした経済上のバランスが瞬く間に木っ端みじんに吹き飛んでしまい、昨日まで一生懸命仕事をして、何とか生活していた人々が、突然、路頭に迷ってしまうとか、昨日まで楽しく普通の生活をしていた人々が、突然、家庭の崩壊に巻き込まれてしまうなどというように、多くの人々の実際の生活では、結構大変なパニックになり、大きな社会不安を引き起こすことが非常に多いということです。
②人間の特性として、知識の好きな人は知識に溺れ、行動の好きな人は行動に溺れるような妙な傾向があるので、そのどちらに偏りすぎても、結果として、企業や国家の運営はうまく行かないことが多い
第二の理由は、これも結構問題が多いのですが、なぜか多くの人々の仕事の様子を見ていると、人間というのは、知識の大好きな人は知識に溺れ、また行動の大好きな人は行動に溺れるような妙な傾向があるので、たいてい知識を中心にいろいろな発言をする人の言う通りにすると、実際には、なかなかその通りにならないことが多かったり、あるいはその反対に現実の行動が何よりという人にそのまま現場を任せておくと、いつまで経っても何も変わらない、というような変なアンバランスな状況に陥りやすいというような人間社会の問題があるのです。
それゆえ、本当は知識の大好きな人こそ、実際の現場をたくさん体験させて、実際の現場の状況に基づいた判断ができるようにするとか、あるいは行動の大好きな人こそ、ちょっと面倒臭くても、ある程度情報の整理や論理的な考え方ができるように訓練するようにしておいた方が、人間としては、より柔軟で賢い、もっとはっきり言うと、あまり大失敗がなく、かなり手堅い成功を次から次へと収められるような優秀な人間になれるのではないかと私は思うのですが、現在の社会では、まだまだ、こうした訓練はあまりよくなされていないようなので、「政府の方からは、現場の声を一切無視した一方的な知識的な命令ばかり来る」とか、あるいはその反対に、「現場の方からは、全体の状況や創造性を欠いた、一方的な文句や無理難題ばかりが上がってくる」というような状況になりやすいということが言えるでしょう。
どんなに素晴らしい経済政策であったとしても、その実現のためには、小さな規模での実験的試みがある程度、成功した段階で、だんだん規模を大きくしてゆくとか、あるいは、あえてその社会の混乱があまり大きくならないように数年、数十年とゆっくり時間をかけて行うような知恵と工夫が重要になる
それゆえ、こと経済政策のようなものに関しては、その国の大多数の人々が、もう今日にも飢えて死にそうだとか、現在ただ今、大変な混乱状態に陥っているというような、よほどの特別な事態を除いて、基本的には、どんなに良いと考えられるような経済政策であったとしても、何でも早急に大規模に行おうとするのはあまり適策ではなく、そうではなく、そうした経済政策については、周りからどんな批判を浴びようとも、いろいろな場所で小さな規模の実験的な試みを行い、よくよく現場の声を集め、改善を繰り返しながら、だんだん規模を大きくしてゆくとか、そう簡単に全国的に行ったりせずに、その時々の貧困や失業の状況などが、あまりひどくならないようにうまく舵取りしながら、何年何十年かけて、ゆっくりとそうした社会の根本的な変化を推し進めるような知恵と工夫が重要であるということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)