今回で、祈りと瞑想における注意点の話は、最後になります。
祈りや瞑想の際に、あまり自己卑下的な態度をとったり、また、あまりに尊大な態度をとると、低次元の霊的存在としか交流できなくなるので、非常に危険である
これはある意味で、一番最初に言ってもよかったような内容になるのですが、基本的には、どんなに熱心に祈っても、また、どんなに一生懸命瞑想しても、この単純な原理原則が分かっていないと、神仏の世界には全く届かない、というような非常に大切な原理原則というものがあるのです。
それは、いったい何であるのかというと、詳しくは、また機会を改めて、別の機会に述べたいと思うのですが、そうした祈りや瞑想を行う際に、もし何らかの神仏の存在が関わっている場合には、次の一点のポイントをしっかり押さえておかないと、そうした本当の神仏ではない全く別の霊的存在、もしくは、偽神仏のような存在につながることになってしまうので、非常に注意が必要であるということなのです。
そのポイントとは何かというと、自分が祈ったり、瞑想したりする際に、そうした祈りや瞑想の対象とする神仏のような霊的存在というものを、あまりにも自分より高位の絶対的存在のように持ち上げてしまったり、あるいはその反対に、そうした霊的存在を、もう単純に馬鹿にしきって、自分より絶対的に下の、どうしようもない存在のように見下げるような心境の場合には、まずは絶対に、そうした本当の神仏のような霊的な存在に、自分の祈りや瞑想というものが、直接つながることはないということなのです。
これは冷静に考えてみれば、誰でも分かるのではないか、と私は思うのですが、そうした神仏のような霊的存在を、自分より絶対的に上の存在であると考えてしまうと、その途端に、何だか自分自身の体、というか、霊体が、何となく非常に縮こまって歪んだ、非常に小さい感覚がしてきたり、あるいはその反対に、そうした神仏のような霊的存在を、自分より絶対的に下の存在であると考えてしまうと、今度は、その途端に自分自身の体、というか、霊体が、何となく非常に尊大で偉ぶった、非常に大きな感覚がしてくるのではないか、と私は思うのですが、それがもし、ここが本当の霊界であったとすると、そうした精神状態の場合には、自分自身の霊体が、非常に歪んだ、よどんだ状態になってしまうので、はっきり言うと、四次元以下と呼ばれるような、完全に低次元の霊的存在そのものになってしまうということなのです(これは、自分で一時的に、そうした精神状態になってみるような実験をしてみると、すぐによく分かるのではないかと思います)。
つまり、霊界というのは、その人や、その存在相応の霊的存在としか、絶対に交流できないような世界になっているので、そうした非常に歪んだ、よどんだ精神状態の場合には、まずは絶対に、より高次元の世界の霊的存在である本当の神仏のような霊的存在とは、絶対に交流なんて全くできなくなってしまうということなのです。
このように、本当は祈りや瞑想の際には、たとえ、どんなに偉大と言われるような神仏に対してであっても、あまり自己卑下的な態度や、あるいは、あまり尊大な態度で祈りや瞑想をした場合には、まずは、そうした神仏のような霊的存在には、絶対に通じない、ということをよくよく理解しておくことが、たいへん重要であるということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)
2011年4月1日 9:21 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 瞑想