その国の発展過程で、国民が自信とやる気を維持するために時折、過度の愛国心や宗教心で、その国を無理やり何とか盛り立てようとすることがあるが、そうした過程を過ぎて、本当にその国がある程度、立派な国に成長すると、そうした思想は、実質的にだんだん廃れていってしまうことが多い
ちなみに、これは多分、どこの国でもほとんど同じなのではないかと私は思うのですが、「その国の政治や経済や文化のようなものが、その時点では、まだ今ひとつなんだけど、これから、みんなで力を合わせて、何とか世界に誇れるような素晴らしいものにしてゆきたい」というような状況下においては、歴史的には、たいてい、どこの国も「自分の国は、かつてものすごく立派な国だった」とか、「政治や経済はともかくとして、自分の国の宗教や文化だけは、本当は世界で一番凄いんだ」とか、「本当は自分の国は世界の中心、宇宙の中心みたいな凄い所なんだ」などというような宗教や思想の考え方が一世を風靡して、多くの人々に受け入れられやすいような状況になるということを理解しておくと、こうした日本のひな形思想のようなものも少し客観的に理解しやすくなるのではないか、というように私は率直に感じております。
ただ時代が下って、その国が、本当に政治や経済や文化の面で発展して、他の国々から、そこそこ羨望の目で見られるような時代になると、こうした考え方というのは、だんだん、すっかりどこかへ行ってしまい、「自分の国がすごいのは、もう当たり前だから」とか、「自分の国の文化は、もう世界中で受け入れられてるから、別に今さら偉そうに強がる必要性なんて全くないのではないか」とか、「なんか外国の悪口ばかり言ってると、いつまで経っても二流国、三流国みたいに見られるから、もうそろそろ外国のものも、いいものはいいって、素直に認めてもいいんじゃないか」などというような考え方の方を、多くの人々が自然と受け入れるような少し成熟した物の見方ができるように変化してゆくようです。
Cecye(セスィエ)
2011年3月25日 9:25 PM, Q&A / おすすめ記事 / コラム / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 政治