20世紀後半から21世紀初頭の時代ほど、多くの人々が、お金の価値を強く信じた時代は、かつて、なかったが、現在、そうしたお金自体の価値は、だんだん下がり始めるようになってきている
こうした歴史の背景を踏まえて、現在のお金というものを、よくよく客観的な目でもって、見直してみると、一体、何が言えるのか、というと、まず第一には、人類の歴史を見回してみると、現代の、特に20世紀の後半から21世紀にかけての時代ほど、多くの人々が、国家の発行するお金の価値を強く信じ込んでいるような時代は、かつて、ほとんどなかった、ということと、第二には、そのようにして、現在、世界中に溢れ変えるほど、大量に流通するようになったお金の価値というのが、特に近年、著しく下がり始めてきていて、その結果、多くの人々は、これまでの時代のように、単純にお金自体のものすごい価値を信じて、お金の獲得のためだけに働く、ということを、だんだん疎んじたり、飽き始めるような風潮になってきているのではないか、ということなのです。
ここで、これ以上、こうしたお金の価値についての話を、長々と書いていると、何だか、経済書みたいになってくるので、もうそろそろ止めにしたいと思うのですが、要するに、まだ、現在でも、多くの人々が、心の底から感じているようなお金の価値というのが、もう少し先の未来になると、まるで、何かの魔法が解けたみたいに、薄く消えてゆくようになってゆき、そして、未来のある段階から、大多数の地球の人々は、「お金のためだけに働くなんて、何だか馬鹿みたい!」、とか、「お金より、もっと大事なものは、いくらでもあるんだから、お金なんて、多くの人々の豊かさの実現や富の公平な分配のために、最低限、うまく活用すれば、それで、十分なんじゃない?」、などというように、現在のようなお金の価値というのは、一昔前の国家宗教がたどっていった歴史の結果のように、一部の異常なマニアのような人間だけにしか、もはや、誰にも受け入れられないような世界に変わってゆく、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年3月10日 9:21 PM, アセンション後の世界 / 政治 / 社会、文化 / 経済