今回も、前に書いた文章を手直ししたものなので、多少、前に書いた文章と内容的に重複した箇所があります。
前にも何度か述べましたが、高次な光の宇宙領域と、それより下の低次の闇の宇宙領域の時間の流れというのは、基本的に全く異なっているので、それゆえ、現在、私達地球人の多くが認識している時間の感覚と、この地球以外の平均的な宇宙における時間の感覚というのは、本質的に全く異なったものになっている、ということなのです。
それでは、私達地球人の時間の感覚と、こうした地球以外の平均的な宇宙における時間の感覚とでは、一体どのような所が大きく違うのか、というと、こうした時間認識に関して、地球的な三次元の認識でもって説明するのは、実際、かなり困難を極めるところがあるのですが、要は、この宇宙における平均的な時間の認識というのは、現在の地球人が言うところの空間的な認識と、はっきり言って、ほとんど全く大した違いがない、ということなのです。
つまり、この宇宙における平均的な時間認識としては、決して隣近所への移動というほど気軽なものではないのですが、それでも地球人の感覚で言うと、大体、国内旅行や海外旅行ぐらいの感覚でもって、「今度、ある惑星のある時代に出かけてみよう」、とか、「この文明のこの時代の生活には、もう飽きたから、今度は、もう少し別の時代で、別の人生を送り直してみよう」、というくらいの感覚でもって、わりと気軽に空間だけでなく、時間の移動も簡単にできるようなところがある、ということなのです。
それと、こうした「時間旅行」とまでいかなくても、現在の地球人のテレビや雑誌における国内外の番組や記事を見るくらいの気軽な感覚でもって、自分の住んでいる惑星や、あるいは、別の惑星の過去や未来における別の時代の映像や情報程度であるならば、誰でも非常に気軽に見たり、知ったりできる、というのが、この宇宙における一般的な時空間に関する認識である、ということなのです。
ですから、はっきり言うと、この宇宙における平均的な時間の感覚というのは、現在の地球の感覚で言うところの、せいぜい地理的な場所の指定、つまり、アメリカの何州とか、日本の何県という程度のニュアンスぐらいしかないので、それゆえ、実は、宇宙の平均的な時空間の認識としては、過去、現在、未来というような時間の認識も、アメリカ、日本、ヨーロッパというような空間の認識も、ほとんど同じような地理的な場所の違いのような感覚でしか捉えられていない、ということであるのです。
それゆえ、現在の地球に飛来している宇宙人のコンタクトや、あるいは、そうした宇宙人からのチャネリングにおいては、ほとんど必ず、「自分達は、過去や未来の宇宙から、やって来ている」、とか、「自分達のコンタクトにおいて、最もふさわしい、この時代のこの地球を選んで、わざわざコンタクトすることにした」、などというような説明をされることが非常に多いのですが、それもそのはずで、実は、地球人の時間の感覚とは全く違って、こうした外宇宙で活動している平均的な宇宙人の感覚としては、「宇宙には、現在という時間しかないのだから、時間なんて、自分達の都合のいいように好きな時間を選んで会いに行くのが当たり前なのに・・・」、とか、「過去も現在も未来も時間なんて、いろいろな人達の活動の結果、ころころ変わるのが当たり前なのに、なんで地球人は、過去は変えられないとか、一つの時間にしか自分は存在できないって考えるの?」、などというように地球人から考えてみると、ほとんど全く訳の分からないような時間の認識を持っていることが非常に多い、ということなのです。
そうすると、こうした宇宙の平均的な時空間の認識と、この地球における時空間の認識の違いというのは、一体どのような理由から生まれたのか、ということが、次には問題になってくるのですが、実は、こうしたこの宇宙における平均的な時空間の認識ができるのは、主として高次な光の宇宙領域、つまり、五次元以上の光の宇宙領域における時空間の認識なので、それゆえ、それ以下の低次の闇の宇宙領域、つまり、四次元以下の闇の宇宙領域においては、こうした時空間の認識というのは、かなり制約されてしまっており、さらにその下の現在、私達が活動しているこうした三次元の物質世界における時空間の認識ともなると、たとえば、移動の自由ということに限ってみても、みなさんもよくご存じのように空間の移動の自由までであるならば、地球の表面ぐらいなら、誰でもある程度行こうと思えば、どこでも行けるのですが、それ以上の時間の移動ともなると、現在の地球人の科学力では、はっきり言って、ほとんど夢物語でしかないというような状況に置かれてしまっている、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2011年2月22日 9:33 PM, アセンション・シリーズ 1