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高次元宇宙の人々から見ると、現在の多くの地球人は、あまりにも自分達の所属する国家や地域社会の政治運営の健全化や効率化を、なおざりにしすぎているように見られている

 前回に引き続き、高次元宇宙の人々から見た現在の地球の様子や感想についての話になります。

 

高次元宇宙の人々から見ると、現在の多くの地球人は、あまりにも、個人の生活に没頭させられ過ぎていて、自分達の所属する、国家や地域社会の政治運営の健全化や効率化を、なおざりにしているように見られている

 第四には、これは、少し変わった話になるのですが、彼ら高次元宇宙の人々から、現在の地球人を見ていると、「それって、あまりにも、他人任せすぎない」、とか、「こんなに重要なことを、なんで、地球人は、自分でやらないのかしら」、というような疑問を持つことが、非常に多い、ということなのです。

 それは、一体、どんな内容なのか、というと、これは、地球人は、あまり深く考える人がいないような内容になるのですが、例えば、「国に、何百兆も借金があるので、将来、それは、全部、国民に払ってもらう、などと、平気で、何十年も前から、公言し続けるような、無能な政治家を、なんで、いつまでも放っておくの?」、とか、「不況、不況と言いながら、世界中で、自分達の何千兆というような、ものすごい大金が、投機に回っているっていうのは、誰かが、どこかで横領しているからに決まっているのに、なぜ、こんな簡単な足し算、引き算みたいな経済の仕組みも分からないのかしら?」、などというようなことを、彼らは、考えていることが多い、ということなのです。

 

たとえ、民主主義国であっても、常に、国民全員が、積極的に政治運営に参加しようとしない限り、瞬く間に、一部の隠れた支配階級の人々による間接独裁制のような支配体制に移行してしまうことになる

 つまり、本当は、現在のような民主主義の国では、国民が、もっと積極的に政治に参加して、「国民の生活が良くなるように、政治家や役人の仕事を、しっかり監督する」、とか、「自分達が、汗水垂らして働いて得たお金は、少しも無駄にならないように、最も効果的に使うようにして、そして、残った分や増やした分は、しっかり分け前をもらう」、とか、「政治家や役人の人達には、よほどの特別な事情でもない限り、国民の人達が、全く知らないような、訳の分からない仕事や役割が、全くないように、何から何まで、包み隠さず、オープンにして、説明してもらう」、というような、国民主体の政治運営というのが、非常に重要になってくるのですが、ところが、現在の地球の社会では、よほどの洗練された民主主義国でもない限りは、たいてい、こうした国民主体の政治運営というのは、ほとんど行われずに、その反対に、「政府が、国民の生活を、隅から隅まで、漏れなく監督しようとする」、とか、「いつも、なんだかんだ、言い訳しては、税金の使い道や隠し場所を、うやむやにして、国民には、さも難しくて、全然、分からないものであるかのように見せようとする」、とか、「何でもかんでも、いろいろな理由をつけては、秘密扱いにして、普段、政治家や役人や、その関係者などが、一体、どんな仕事や生活をしているのか、全く分からないように隠してしまう」、というような、国民不在の、政府主体の政治運営になってしまう、というか、もっとはっきり言うと、そうした政府を、隠れた形で、永続的に牛耳っているような、ごく一部の特権階級の人間が、大多数の人々を、まるで、完全に一種の奴隷階級のように扱うような、そうした名前だけの民主主義国が、現在の地球には、非常に数多く存在するようになってしまっている、ということなのです。

 

政治は、どこかの偉い人にやってもらうものではなく、常に、市民全員が、主体的に参加し、監督し、決定することによって、その利益やサービスの最大の受け手となれるように、しっかりと運営すべきものである

 つまり、現在の地球の社会では、本当は、それに関心を持って、少しでも、何かを変えるために、自分の時間を割けば、自分だけでなく、多くの人々が、もっともっと幸福になれる、というような非常に大切なことを、なぜか、多くの人々は、全く何もしようとしないようなところがあったり、また、その反対に、もし、それに関心を持たずに、いつまでも放っておくような、自分の時間の使い方をしていると、やがて、自分だけでなく、自分以外の多くの人々も、みすみす、大変な不幸を強いられることになる、というような愚かなことを、なぜか、多くの人々は、何も気にせずに、平気で放っておいてしまうような、非常に不思議なところがある、ということなのです。

 このように、この物質世界での幸福の実現のためには、自分自身の努力や行動だけでなく、自分が所属している地域や国家の政治運営というものを、いかにして、自分自身も含めた、多くの人々のために、より良く、機能的に働かせるか、ということが、非常に重要になってくるのですが、ところが、これも、おそらく、現在の学校教育というのが、裏において、意図的に、そうした政治に無関心な、受動的なタイプの国民を、大量に育成するために運営されているからか、現在の地球の社会では、国民自らが、こうした地域や国家の政治運営に、主体的に参加することによって、自分自身も含めた、多くの人々の幸福を、積極的に創造する、というような姿勢が、あまりにも少なすぎるのではないか、というように、彼らの目からは、はっきりと認識されている、ということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2010年11月28日 9:33 PM, 宇宙文明、古代文明 / 政治



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