今回も教育の話になるのですが、男女の関係に関する少し変わった話になります。
③男女をあまりはっきりと分けすぎるような学校運営をしていると、そのうち現在以上に日本の人口が急激に減少するような時代がやってくる
第三には、これはまだ日本だと、ちょっと極論的な見方をされることも多いのではないかと思われるような内容なのですが、現在の日本の学校運営では、あまりにも男女の違いをきっちりと分け過ぎているということなのです。
これは霊的な観点から見ると完全に明らかなことであるのですが、男性の体をしていても、ほとんど女性の意識を持っているというような人は、世の中にはごまんといますし、またその反対に女性の体であるにも関わらず、男性の意識を持っているというような人も、世の中には実際ごまんといるということなのです。
ところが日本の学校だと、まだほとんどの所で「男の子はこっちで、女の子はあっち」とか、「男の子はこうやらないといけないけど、女の子は別にそうしなくてもいい」とか、「男の子の服装はこれで、女の子の服装はこれ」という具合に、実際かなり細かく「男の子はこういう存在で、女の子はこういう存在」ということを十数年に渡って、こと細かに教えようとするようなところがあるのですが、私は現在の時代の趨勢(すうせい)から考えると、こうしたあまりに明確な男女分けを行うような学校運営というのは、もう完全に時代遅れになりつつあるので、それゆえ今後は、できるだけ男女の違いというのをあまり明確に分け過ぎないような学校運営にしてゆかないと、これはあまりはっきり言いたくなのですが、もう少し先の未来の時代になった辺りで、その反動として現在以上に婚姻率が下がって、おそらく日本民族というのは、そう遠くない将来、いなくなってゆくような状況になってゆくのではないか、というように率直に感じております。
それでは、なぜ男女の違いをあまり明確に行い過ぎるような学校運営を行うと、それが婚姻率の低下と直結することになるのかというと、これは因果関係が複雑で、ちょっと短い文章で完全に説明するのはかなり難しいのですが、要するにあまりにもはっきりと男女の区別をつけすぎるような教育を小さい頃から十数年も行っていると、これは人間の表面意識のレベルではなかなかよく分からないのですが、人間の潜在意識のレベルにおいて男と女は全く別の生き物というか、全く別の人種というような魂レベルでの深い深い刷り込みのようなものができてきて、その結果、表面意識のレベルでこそ男と女はお互いに協力し合ったり、愛し合ったりできるのですが、潜在意識のレベルでは、結構お互いに競争心や怒りや嫉妬心や不平不満のような感情を非常に根深く溜め込むことになってゆくということなのです。
こうした状況であっても、これが一昔前の時代であれば、「結婚していなければ、一人前の人間じゃない」とか、「結婚していなければ、セックスしてはいけない」とか、「結婚していなければ、お金を稼ぐことも家事をすることも一人でしなくてはならない」というような時代であったので、かなり大多数の人々は一生独身でいるよりかは、できるだけ若いうちに結婚するというような人生の選択をしていたのですが、ところが現代のように多くの人々の間で晩婚化が当たり前になり、結婚も離婚も個人の自由として、わりとフラットに考えられるようになったり、多くの人々が結婚と幸福、あるいは結婚とセックスを全く別の問題として考えるようになったり、それから、そもそも結婚以前に一人で経済的に食べてゆくことすら大変な経済情勢がずっと長引くようになってゆくと、こうした人間の心の奥の潜在意識的な願望、つまり「なんで自分と姿形も性格も全く正反対の女(男)と、いつまでも一緒に生活しなくちゃいけないんだ」とか、「なんで女(男)同士なら肉体的な感覚としても精神的な感覚としても心底分かり合えるのに、自分と性別の異なる男(女)と結婚して一生、一緒に生活しなくちゃいけないの?」などというような潜在願望がだんだん表面化するような形で、男女で結婚しても、しばらくすると簡単に離婚してしまうとか、それ以前によほどの特別な理由でもない限りは異性と積極的に付き合うことすら、だんだん避けるような社会風潮になってゆくということなのです。
実際、人類の歴史を見てみる限り、男女の役割をわりときっちりと分けていたような社会というのは、ほぼすべて今述べたような歴史の流れ、つまり、その社会が戦争や貧困などで大変な時には、男女仲睦まじく生活しているですが、その後、大帝国になったり、経済的に繁栄した後には、結婚制度が実質空洞化して、そのうち人口減少が起こって、やがて、その国の実質的な支配権というか、居住権を他の民族に取って代わられるというような歴史をえんえんと繰り返してきているので、これはもう一部の人達はかなりの危機感を持って考えていることだと思うのですが、多分、今のままの流れだと、あと数十年ぐらい先で日本の人口は大激減し出すようになり、その後は実質的に現在の日本民族ではない、それ以外の他の外国の人達が未来の新しい日本人として、この国で生活するようになってゆく可能性が現時点では非常に高いのではないか、ということなのです。
それゆえ私は、霊的に見る限り、男女の違いというのは、それほど大きなものではないので、今後は学校の運営においては、名簿や席にしろ、服装や言葉づかいや扱いにしろ、もっともっと男女の差というものを減らして、はっきり言うと将来的には、ほとんど同じような扱いにしてゆくことが非常に重要なのではないか、というように率直に考えております。
Cecye(セスィエ)
2010年10月15日 9:36 PM, 教育