今回は、アセンション後の世界の若さや寿命の変化についての説明の第3回目になります。
現在以降の健康や寿命に関する多くの人々の潜在願望の変化とは?
それでは、アセンション以降の今後の世界では、こうした多くの人々の潜在願望というのは、一体、どういう方向に変化してゆくことになるのか、というと、これは現代人からすると、全く意外なことであるのですが、おそらく私が考えるには、次のような二つの内容になるのではないか、ということです。
1、最近は多くの人々の意識が、病気や老化よりも、健康で若々しい、より幸せなライフスタイルを望むような方向に変化してきている
まず第一には、こうして20世紀から21世紀の現代の時代において、多くの人々は、科学技術や経済の発達によって、非常に高度なレベルの医療や看護を受けられるようになったにも関わらず、相変わらず、いろいろな病気にもなれば、どんどん若さは衰えて老化して、死に向かってゆく、というような生活を経験することになったのですが、これが21世紀以降というよりも、ここ数年の潮流としては、だんだん変わってきていて、多くの人々の潜在的な願望や希望の内容としては、「重い病気になって、自分も家族も散々辛い大変な思いをするような状況になるよりかは、できるだけ病気にならずに健康で快適な仕事や生活ができた方が、ずっとよいのではないか」とか、「昔はある程度、年をとったら、みんな、コロッと簡単に死んでしまっていたのに、最近は寿命が延びて、いくら肉体的に年をとっても、30年でも40年でも長生きするのが当たり前の時代になってきたので、どうせ年をとるなら、できるだけ若い姿のままで健康にエネルギッシュに活動しながら、年を重ねてゆきたい」などというように多くの人々の意識が、かなり明確な形で変化するようになってきたということなのです。
2、自分にとって、最高の幸福が実現できるようにある程度、自分自身の寿命を長くしたり、短くしたり、コントロールできるようにしたい、というような人々の願望が、だんだん強くなってきている
第二には、これは一部の人々にとっては、かなり意外なことなのではないか、と私は思うのですが、多くの人々の潜在意識の潮流としては、「人間の死というものを、突然の病気や事故など、自分の直接の意思でないような別の原因で勝手に決められるのではなく、自分自身の直接の意思で、いつ頃まで生きて、こうした形で自分の一生を終えるというように、はっきり決められるようにしたい」というような願望や希望が、だんだん、この地球上でも非常に強い潜在願望として、現れるようになってきているということなのです。
これは裏を返すと、「現代の先進国の状況にように、どんなに辛くて、大変な病気にかかっていたとしても、とにかく、一日でも長く生き続けることが重要なのだ」とか、「年をとって、どんなに体が老化して、不自由な状態でも、とにかく長生きすることが幸福なのだ」というような考え方とは、全く反対の立場に立つ考え方になってくるのですが、要するに前に述べたような20世紀頃の健康や寿命に関する多くの人々の考え方が、現在、だんだん変化するようになってきていて、その結果、自分自身の肉体的な健康と、本当に自分自身が感じている幸福感との間の冷静な比較であるとか、自分自身の肉体的な寿命と、本当に自分自身が感じている精神的な充実感との間の冷静な比較というもののを、だんだん多くの人々は、かなり真剣な態度で考え始めるようになってきたということなのです。
つまり、一昔前の時代なら、もう間違いなく、「健康で長生きできる」ということは、別の言葉で言うと、「お金にも食べ物にも困っていない」とか、「辛い病気にかかっていない」ということで、ほとんどの人にとっては、ほぼ完全に理想の幸福の姿として捉えられていたのが、最近のようにどんなに肉体的に辛かろうが、精神的に退屈しようが、ほとんどの人が、肉体的には、健康で長生きできるような時代になってしまうと、「もう自分は、痛くて辛いだけの長い人生なんて嫌だ」とか、「何もやることもないのに、だらだら生きてるだけの生活なんて、もういい加減、飽き飽きした」などというように、一昔前の理想の幸福像、つまり、「とにかく健康で長生きすること自体が、人間としての最高の幸福なのだ」というような考え方というのは、現在、だんだん飽きられ、廃(すた)れてゆきつつある古い考え方になってきてしまっているということなのです。
それゆえ、これは別のページで、また、あらためて書きたいと思うのですが、他のスピリチュアル系の書物にも、よく述べられているように私は、自殺は、霊的に非常に害があるので、基本的に反対の立場をとりたいと思うのですが、そうした霊的な立場とは一切関わりなく、現在の多くの人々の潜在願望の流れとしては、「自分が、本当に満足し、幸福であると感じられるような人生が、ずっと続くなら、できるだけ健康で長生きしてゆきたいと考えているけれども、もし、そうではなく、辛く悲しい退屈極まりない人生が、いつまでも、ずっと続いてゆくくらいなら、ある程度、自分自身の意思で、自分の寿命の長さも決められないものだろうか」などと、だんだん多くの人々が結構、切実な願いとして考え始めるようになってきているということなのです。
追伸
次回が、いよいよ、アセンション後の世界での若さや寿命の変化の話になります。
多分、最初の数十年は、あまり大きな変化は起こらない可能性が非常に高いのですが、それ以降、だんだん時間が経つにつれて、ちょっと現在では、全く考えられないような人間の若さや寿命の変化というものが起こるようになってゆくのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2010年9月13日 9:37 PM, アセンション後の世界 / 健康、医療