それというのは人類の歴史を見ると、多くの人々の単純な思い込みとはかなり違って、現在、とんでもない独裁者や、侵略戦争や人権弾圧などの行きすぎた政治的な犯罪を行なった、とんでもない悪い政治家として、知られているような人物であったとしても、意外とそうした人物が政治家になった時代には、多少過激な発言はあるけれども、非常に素晴らしい理想主義者や、非常に敬虔な信仰心のある宗教的な人間や、あるいは、人の話がわかる良い性格の善良な人間として、多くの人々に受け入れられていたことも多かったようだからです。
ですので私は、多くの人々の一般的な思い込みとしては、強い理想主義者や信仰深い人物や、善良な人間は、絶対にそんなひどい間違いはしないし、絶対にそんなひどい政治を行ったりはしない、などと強く思い込まれていることが多いと思うのですが、しかし、人類の歴史を見ると、あまりそうとは言えなくて、どちらかと言うと、そうした非常に理想主義者であったり、信仰深かったり、多くの人々の人気を気にするような善良な人間であったかどうか、ということよりも、ふとした瞬間に現れる非常に感情的な差別的な発言であるとか、自由や人権を無視しても構わないというような非常に過激な言動を、どれだけしているか否か、ということへの注意とチェックが、とても重要になるのではないか、というように考えております。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2025年8月20日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 軍事