そうすると政治の世界では、そうした政治の世界の仕組みややり方について、たくさん学んで経験を積み、かなり熟知した上で、一つ一つの政治的な課題をきっちりと解決し続けてゆけるような、言ってみれば、かなり知的かつ精力的なタイプの人物が非常に向いているようなところがあるわけです。
ところが、はっきり言って、そうした人物というのは、一般に大衆受けが悪いことが多いので(たまにそうした人物であっても、大衆受けしやすいパフォーマンスが上手な人もいますが・・・)、多くの普通の人々の感覚からすると、いつも見慣れているエンターティンメントやインターネットのキラキラした世界と比べると、パッと見た印象としては、「なんだか、普通のおじさんだな・・・」「しっかりしていて、賢そうだけど、よく聞かないと何言ってるのか、よくわからないなあ・・・」などというような感想を持つことも多いようなのです。
そこに「今の政治は間違っている」「◯◯には、大変な問題があるんだ!」「今の政治と戦うんだ」「◯◯と戦うんだ!」などと雄々しく演説している人々を見ると、「なんだか映画やアニメのヒーローみたいだな・・・」「なんか社会の不正と戦うとか言ってるから正しいのかな・・・」などというような、わりと単純な評価をしてゆきやすいようなところがあるわけです。
このように現在のような民主主義の社会であるからと言って、常に常に必ずしも、最も良い政治家選びがなされるとは限らないところがあるのですが、そうすると、いったいどのように考えてゆけばよいのか、というと、だいたい次のようなことが言えます。
Cecye(セスィエ)
2025年7月16日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化