2、選挙の際には、単に候補者や政党の公約や言動を見聞きするだけでなく、できれば、学者やメディアなどの専門的な意見もよく見聞きした上で投票先を決めた方が、よりよい政治的な状況を生み出してゆきやすいのではないか
二つめは、これは現在の多くの人々の考えとは、かなり違った内容になってくるのではないか、と思われるのですが、これまで様々な観点から述べてきたように、たとえ一定期間ごとにかなりしっかりとした公正な選挙によって、多くの人々の意思をきっちり反映した形で、その国や地方をまとめる政治家や政党を選べたとしても、はっきり言ってしまうと、それぞれの政治家の力量や、その時々の政治の状況などによって、本当に多くの人々が望んでいるような政治の状況がきっちり実現できるかのか、というと、かなり難しいところがあるわけです。
つまり先ほどから述べているような形で、現代社会の様々な製品やサービスを選んだり、あるいは、どこかのスポーツの選手やチームやミュージシャンなどを応援するような感覚で多くの人々が、選挙で政治家や政党を選んだとしても、はっきり言って、選挙の後に本当に多くの人々が望んだ通りの政治がきっちり実現できるかのか、というと、みなさんのこれまでの経験からもある程度よくわかるように、かなり難しいという現実があるわけです。
それでは、民主主義社会に生きる私達としては、いったい、どのようにしてゆけばよいのか、というと、選挙の際に単に演説やSNSなどで、それぞれの候補者や政党の主張だけを見聞きするのではなく、はっきり言ってしまうと選挙後の政治の状況もある程度、客観的にしっかり見通した上で、それぞれの人が投票する候補者や政党を決めた方が、それぞれの人の「投票」という行為が、より有意義に価値ある結果を生みやすいのではないか、というような推測が成り立ってくるわけです。
つまり民主主義社会の選挙において、自分が投票する候補者や政党を決める際には、単に演説やSNSなどで、そうした候補者や政党の公約や実績に目を通すだけでなく、選挙後の政治の状況もある程度、冷静に予測した上で投票するようにした方が、それぞれの人の投票が、より有意義な意味を持つようになるのではないか、ということなのです。
※1960年代ぐらいの世界は、現代と違って、世界的に政治的な権力がもっと遥かに強かったので、そうした政治に対抗するロック・ミュージックというのは、社会的にもある程度正しかったかもしれないのですが、21世紀初頭の現代は、どの民主主義国でも、政治はもっと国民に寄り添った形で行われるものにすっかり変わってきてしまっているので、現代では、もう単純に政府に何でも反抗するような政治的な態度をとっても、なかなか、うまくいかない時代に移り変わってしまっているのではないか、と思われます(これは、あくまで普通の民主主義国についての話ですが・・・)。
Cecye(セスィエ)
2025年7月8日 9:03 PM, 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化