こうした現在までの世界の政治や社会の状況を見てゆくと、よく民主主義の国々では、社会主義や共産主義、あるいは権威主義の国々では、言論や報道の自由が制限されていることが問題視されることが多いのですが、逆に民主主義の国々では、毎日の政治の報道が、「また政治家が変なことをやっているぞ!」「政治家は無能な人間だらけで、まともな仕事をしてないのではないか」「政治の世界には、何か裏があるのではないか」「政治家への良い評価よりも、間違いや失敗を大きく騒いだ方が世間の注目を浴びれるし、お金にもなる」などというような感じで、それぞれの政治家自身の普通の姿や、また、そうした政治家の人々が関わった政治的な判断や行動の成果についての冷静な正しい評価が、多少少なくなりすぎているようなところがあるのです。
ですので、こうした意味では、一般に民主主義の国々では、言論の自由や、マスコミ報道の自由があることはよいものであるとされているのですが、しかし、あまりにも政治家や政府が無能呼ばわりされるような社会の空気になってきている場合には、もう少し冷静に客観的な立場に立って、「いや、よくよく冷静に考え直してみれば、今の政府の対応も、それほど悪くなかったのではないか」「これは確かにイマイチだったかもしれないが、あの政策はよかったのではないか」などというように、もう少しプラスの評価を持つようにしておいた方が、おそらく実際の政治的な評価としては、より正しいものに近づいてゆくことになるでしょうし、また、単純に自分自身の毎日の精神的な感覚としても、より楽になり、幸福感を感じて、生きてゆきやすくなるのではないか、というように私は考えております。
Cecye(セスィエ)