このように一昔前の時代までは、一つ一つの物がとても貴重で、また物によっては、非常に高価で、なかなか手に入りづらかった上に、他の自然の生き物と同じように人間も多産多死が、当たり前の時代が長く続いていたので、はっきり言ってしまうと、もう国や地域によっては、人間の命よりも、非常に貴重で高価な機械や物の方が、よほど大事にされるような価値観が強かった時代も非常に長かったわけです。
それが近現代の経済や科学技術の発達によって、現代の時代は、特に先進国や発展途上国などでは、たいてい食料や日常生活に必要な品物は、たくさん溢れかえるような時代に大きく変わっていったので、その結果、人間が一つ一つの物にかける労力は、だんだん非常に少なくなってゆくと共に、そうした一つ一つの物に対する人間の知識や憧れや愛着や誇りのような気持ちも、だんだん少なくなってきてしまったようなところがあるわけです。
その結果、現代の人々は、一人一人の満足や幸福のようなものには、かなり大きな関心を持つようになってきているのですが、ところが、そうした観点から見ると、現代の人々が感じている一つ一つの物のありがたみや喜びのような気持ちは、昔の人々と比べると相対的にかなり低くなってきてしまっているようなところもあるわけです。
Cecye(セスィエ)
2023年8月3日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済 / 自然、生命