また先ほども少し述べましたが、そうした情報を提供する人々の立場としては、これはたいてい、決して、ものすごい悪意や陰謀があるわけではないのですが、そうした世界規模で、ものすごい勢いで発達してゆく情報化社会の中で、「このニュースは、こういう情報の伝え方をすれば、もっと大勢の人にしっかり理解してもらえるようになるかな?」「今度、こんな面白い映画を作ったので、ぜひ一人でも多くの人に映画館で観てもらいたい!」「前よりも、もっと面白い、すごい番組ができたので、ぜひ大勢の人に楽しんでもらいたい!」「このコンテンツは面白いから、もっと多くの人に、もっと長い時間使ってもらいたい!」「すごいゲームができたので、もっと大々的に宣伝しなければ・・・」などというような感じで、そうしたテレビやラジオや、コンピューターやスマホや、ゲーム機などを持っている人々に対して、世界規模の競争の中で、昔の時代と比べると、より面白く、より中身があり、また、より楽しく、より素晴らしいたくさんの情報やコンテンツを、ずっと提供し続けようとしているようなところがあるわけです。
そうすると例えば、一昔前の時代でさえ、本や映画が好きな人であったら、どうしたら世界中の素晴らしい、たくさんの本を読み尽くしたり、たくさんの映画を見尽くすことができるのか、などというような悩みを抱えている人々も多かったように思うのですが、それが現在のような世界規模の高度な情報化社会になると、世界中の人々が、それほどものすごい大金を使うこともなく、世界中の様々な素晴らしい本や映画や音楽やアートや、マンガやアニメや、様々な情報に触れられるような時代になってきてしまったために、どんな人であっても、はっきり言ってしまうと、どんなに努力して、たくさん時間を使ったとしても、現在もさらに増え続けている、そうした世界中のたくさんの情報やコンテンツを、完全にきっちり消化することなんて、まったくできない時代になってきてしまったようなところがあるわけです。
Cecye(セスィエ)
2023年4月12日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 経済