三つめは、選挙には、たくさんのお金がかかったり、ネガティブキャンペーンがあったり、また普段の学業や仕事や生活では、あまり知ることもないような、多少専門的で難しいことを考えなくてはならなくなるようなところがあるので、少し面倒臭いと感じるような人もいるかもしれないのですが、しかし、たとえ、ほんの少しであるとしても、数千万人、数億人、十数億人の人々が人生を送る国の最高のトップの政治家や、そうした政治家を取り囲んで、政治的な議論を行う議会の議員の顔ぶれを、一人一人の国民の意思を反映して決められるということは、ある意味、人類が到達した理想の政治体制の一つのあり方であると言えるのではないか、ということです。
四つめは、たいていの国の人々の普段の生活では、ほとんどあまり意識することもないと思われるのですが、数千万人、数億人、十数億人の人々が一緒に暮らす人間の社会において、あまり大きな危険や混乱や犯罪などがないように、また、できるだけ多くの人々が平和に幸せに豊かに暮らしてゆけるようにするために、警察や軍隊や、裁判所や役所などのような国の様々な政治機関の人々は、強い武力で他の国の侵略から守ったり、また、その国の社会を乱す行為を鎮めたり、一定の秩序のもとに収めてゆくような非常に強い権力を持っているものです。
それゆえ、そうした政治権力の上に立つ人間を、国民が直接選んだり、やめさせたりしてゆけるような選挙への参加は、たとえ、一人一人の国民としては、ほんの小さな一票の力しかないとしても、最終的には、数千万人、数億人、十数億人の国民の中で、そうした大きな政治権力を握る人々を、国民自身がきっちり決めることができるという点で、少しでも、できるだけ多くの人々が不幸にならず、また、少しでも、できるだけ多くの人々が幸福に暮らしてゆけるような社会を築いてゆくためには、本当に大切な社会の仕組みになっているということが言えるのではないか、というように思われます。
Cecye(セスィエ)