しかし現在の私達の社会では、何かあると、「どうしても一言言わないと気が済まない」とか、「どうしても反対のことが言いたくなる」などというような気持ちになる人は、結構多いようなのです(相手を傷つけるような意図ではない、軽いユーモアであれば、それほど問題ないのでしょうが・・・)。
それゆえ、そうした際に、すぐに相手にきつく言って、責め立ててしまいがちな人と、そうではなく、常に思いやりを持って、できるだけ相手の話を聞いて、よく理解しようと努めたり、あるいは、常に相手に感謝の気持ちを伝えたり、相手のやる気を引き出すような話し方ができるような人であるかどうかの違いが、一般には、それぞれの人の人間的な包容力の差や、指導力の差と考えられていることが多いようです。
現在の世界では、こうした人間の荒々しい性質は、だんだん減ってゆきつつあるようなところもあるのですが、ところが現在も、特に政治やマスコミやインターネットなどの世界では、相変わらず、そうした言動が、まるで当たり前のようにまかり通っているだけでなく、さらには、そうしたかなり荒々しい言動をする人を、まるで素晴らしいリーダーのように英雄視して、盛んに持ち上げるようなことをしたり、また、なぜか多くの人々が、そうした言動をする人の意見に盛んに賛同したり、そうした言動をする人がやっていることを、何でも真似しようとすることもあるようなので、現在、こうしたことは、だんだん非常に問題視されてゆくような流れにもなってきているようです。
それで、ここからが問題なのですが、これは人間に限らず、他の生き物も多かれ少なかれ、似たような性質があるかもしれないのですが、簡単に言うと多くの人々が、ほとんどあまり考えたこともないような非常に突拍子がないようなことであっても、かなり感情的に荒々しく、時にテーブルを叩いたり、大きな身振り手振りで、大きな声でまくし立てるように話すような人がいると、なぜか結構大勢の人々が、それほどしっかりと内容を確認することもなく、そうした人の主張に強く揺り動かされたり、また、そうした人の主張が、まるですべて本当の正しい内容であるかのように信じて、一緒についてゆこうとしたり、一緒に行動してゆこうとすることがあるようなのですが、そうした際には、次のような二つの内容については、どうしても再度、確認し直す必要があるのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)
2021年12月11日 4:22 PM, 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 軍事