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人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 38

 次には、霊的な悟りを求める、そもそもの目的について、考えてみたいと思うのですが、おそらく古代や中世のような昔の時代には、「毎日、大変な不幸な生活が続いていて、自分の人生にも世間の様子にも、もうほとほと愛想をつかしてしまったので、この世の生活から少しでも離れられるような宗教の世界に入って、たとえ多少寝食に苦労しようが、大変な努力が必要になろうが、なんとか仏の悟りに近づきたい」とか、「自分は、仏教の教えに深く共感したので、仏門に入り、毎日厳しい修行に励んで、大きな悟りの安らぎが得たい」とか、「私達は、ぜひ阿弥陀様のおられる素晴らしい極楽浄土に往生(おうじょう)したいと心から願っているので帰依することにした」、とか、さらには、「大きな戦乱や飢饉などがあって、世の中が荒れて、大勢の人が亡くなってしまったのだが、どうも大勢迷っている気がしてならないので、出家して、自分が悟りを得るだけでなく、そうした人々の魂の供養をしなくてはならないと思った」とか、「素晴らしい悟りを得た高僧に出会い、本当の心からの救いを得たので、自分もその高僧のように、たくさんの人々を救えるような立派な僧侶になりたい」などと考えて、霊的な悟りを得ようとすることが多かったのではないか、と思われます。

 それから近現代以降になると、「自分は、本当に神仏のことが大好きなので、ぜひとも自分自身で神仏の悟りというものを、少しでも体験してみたい」とか、「毎日、普通の仕事や生活だけをしていると、他の人との人間関係や、自分の人生上の問題や悩みなどで精神的に苦しくなって、しょうがないので、何とか宗教的な教えを学んだり、瞑想したりすることで、心の平安を得られるようにはできないものだろうか」とか、あるいは、「あくせくした普段の生活では、絶対に体験できない、神仏と一体になるような霊的な特別な体験がしたい」とか、「宗教的な徳目を身につけたり、深く瞑想したりして、もっと高い人間性を身につけたい」などというような目的で、霊的な悟りを得たいと思うことが多かったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月20日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道



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