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人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 27

 こうした点から考えてゆくと、霊的な悟りに至った心身や魂の状態と、人間や生き物のセックスの際の心身や魂の状態は、確かにある程度は似ているようなところもあるけれども、ただ、この物質世界では、この物質世界特有のセックスに絡んだ問題が発生することも多いし、また特に一昔前の時代までは、そうした結婚生活を営むことによって、非常に大きな束縛を受けて、霊的な修行をしてゆくことが、とても困難になることも多かったので、結果として、そうした結婚やセックスは、どちらかというと霊的な悟りを得るためには、避けられることが多かったのではないか、ということなのです。

 ただ、現代の社会では、男女の立場が、かなり平等に近くなっていることや、また経済や科学技術の進歩で、仕事や家事労働が、かなり楽になってきているようなところがあるので、はっきり言って、それぞれの人が作ろうと思えば、かなりたくさんの時間を、そうした霊的なことに使えるような時代に、かなり大きく変わってきているようなところがあるわけです。

 それゆえ今後の社会では、だんだん、そうした霊的なトレーニング(修行)と、普通の結婚生活などに伴うセックスというのは、それほど大きく分けて考えられずに、それぞれの人にとって、かなり自然な形で両立できるようなライフスタイルが、だんだん模索されるようになってゆくのではないか、というように思われます。

 

 このように昔から世間や、宗教や哲学などの世界で言われてきた霊的な悟りの内容としては、だいたい、以上のような十ぐらいの内容があげられるのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

 追伸

 Part 24に、次の文章を追加しました。

※古代インドにおいて、釈迦が説いた元々の仏教の教えでは、当時、多くの人々が陥っていた非常に大混乱した生まれ変わりの輪廻から脱するために、性的な欲望のみならず、あらゆる肉体的な欲望から離れた、非常に穏やかで平安な喜びに満ちた「悟り」の境地を得ることが、とても重要視されていました。ただ、古代のインドだけでなく、一般的に古代の世界では、わりと単純に性的な体験を、神仏との合一や、霊的な神秘体験や、神仏からの恩寵のように考えられていることの方が、遥かに多かったようです。

※ですので、その後の仏教の歴史では、大乗仏教の特に密教の中で、様々な仏や神などとの合一的なセックスも重要な「悟り」であると考えて、修行するような宗派もあったようです。ただ、やはり元々の釈迦が説いた仏教の教えとは、かなり矛盾した内容になってしまうようなところがあったために、結局、その後、仏教の教えからは、だんだん外されてゆくような流れになっていったようです。

 

Cecye(セスィエ)

2021年8月17日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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