ところが、こうした宗教的な学びや祈りや瞑想などをする際には、ちょっと危険なところもあって、それというのは、もし万が一、そうした宗教的な学びや祈りや瞑想などの内容が大きく間違ったものであったり、また、その人にとって、あまりにも大変過激なものであったりするような場合には、そうした悟りを得るどころか、肉体や精神のコンディションを大きく崩すようなことになったり、また場合によっては、様々な幻覚に苛まれて、精神的におかしくなってしまうようなことも、昔からたくさん起きていたようなので、それゆえ、こうした悟りを求める上での宗教的な学びや祈りや瞑想などの内容の選択や、程度の加減というのは、かなり重要になってくるのではないか、と思われます。
ただ、こうした形で様々な国や地域に、宗教や宗派に関わらず、霊的にある種の悟りを開いているような人が、常にある程度以上の人数いた場合には、たとえ短期的には、様々な混乱や不幸が起きたとしても、長期的には、大きな平和や繁栄がもたらされることが多かったのではないか、というように私は感じております。
※こうした「悟り」と非常によく似た宗教的な体験として、神やキリストや天使や聖人や、仏や菩薩などの存在を非常に身近に感じたり、また、そうした存在の非常に深い愛や慈悲を心から感じるような神秘体験もあるのですが、一般には、そうした神秘体験は、悟りとは考えられていないことが多いようです。ただし、そうした形で、神やキリストや天使や聖人や、仏や菩薩などから、霊的な啓示を受けた場合には、霊的な悟りを開いたと認識されることもあるようです。
Cecye(セスィエ)
2021年8月6日 9:03 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 予知、予言、未来予測 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 神道