少し前の話の続きで、今回から何回かに渡って、霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて、少しだけ述べてみたいと思います。
仏教の教えというと、特に日本や中国の場合、普段、あまり見かけないような、かなり難しい専門用語の漢字がたくさん並んでいるだけでなく、また内容的にも、なかなか、わかるようでわからない難しい内容が多いように感じられます。
それから先ほども述べましたが、元々、仏教は、戦乱や疫病や貧困などで、かなり荒れた社会状況になっていた古代インドで説かれた教えであったために、はっきり言って、21世紀初頭の現代人から見ると、いくら釈迦自身や、釈迦の教えが非常に優れたもののように感じられたとしても、多少理解しづらい、というか、かなり納得しがたいような内容も多いのではないか、と思われます。
現代人から見ると、どう見ても、明らかに後世に意図的に付け足された話のように思われる「釈迦は、摩耶(まや)夫人(ふじん、もしくは、ぶにん)の右脇から産まれた」とか、「赤子として産まれたら、すぐに数歩歩いて、天上天下唯我独尊と言った」などというような釈迦の生誕にまつわる逸話はともかくとして、ここでは、霊的、または現代的に見ると、多少違っているのではないか、と思われるような仏教の教えについて、幾つかの観点から述べてみたいと思います。
Cecye(セスィエ)
2021年5月21日 9:08 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / おすすめ記事 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史