2、釈迦を超える、さらに偉大な仏の悟りや救済を説く「大乗仏教」の興隆について
二つめは、ところが、その後の仏教の霊的な悟りを開いた人々の中には、「この世界の現実の状況を見る限り、どうやっても人間の小さな努力だけでは、マイナスのカルマなど、完全には消しきれないことに気づいたのだが、どうも自分たちの世界には、それ以上の偉大な仏の働きがあって、それによって、自分達人間は、マイナスのカルマを減らしてもらい、プラスのカルマを増やしてゆきながら、より素晴らしい理想の世界を目指していっているらしい」とか、さらには、「自分達は、その偉大な仏に帰依して、修行するというよりも、深く信仰することで、大きな救いと幸せを得てゆくべきなのではないか」などというように、新しい仏教の流れを作るようになっていったようなのです。
それが「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」や「阿弥陀仏(あみだぶつ)」や「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」や「薬師如来(やくしにょらい)」などといった、もっと根源的、かつ非常に救済力のある仏を信仰する「大乗仏教」と呼ばれるような、新しい仏教の流れになっていったようです。
※現在残っている仏教の経典を読むと、どれも「釈迦が説かれた」などと書かれていることが多いのですが、実際には、現在の仏典の研究では、釈迦が直接説いたお経と、そうでないお経は、かなりはっきり分けることができるので、そうすると釈迦が直接説いたのではない、それ以外のたくさんのお経は、いったい、いつ誰が、どんな形で著したのか、なかなか、よくわからないことが多いようです(それぞれの経典が成立した大まかな地域や年代は、ある程度わかるようなのですが・・・)。おそらく、そうした仏教のたくさんの経典は、その後の日本の新仏教の成立とよく似た感じで、古代や中世の時代に釈迦の教えをかなり熱心に学んで、修行した人々が、非常に深い瞑想の最中や、神がかり的な霊体験の中で発見した様々な霊的な存在達や、そうした霊的な存在達の教えを、様々な形で仏教的な経典として、著したものが元になっているのではないか、と思われます。おそらく、古代や中世の時代のインドやアジアの国々では、そうした仏教的な新宗教は、幾つも幾つも現れては消えていったのでしょうが、そうした仏教的な新宗教のうち、そこそこ霊的な能力があったり、ある程度の悟りを開いた人々が、「確かにこの通りだ。私もこうした霊的な存在の活動を感じていた」などというように、たくさんの共感を集めて、ある程度の規模の信者を獲得していったものが、さらにたくさんの国々に伝わっていったり、後の時代にもしっかり残っていったりして、後の大乗仏教の流れになっていったのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2021年4月30日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 瞑想