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人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 7

7、時折、世間では、肉体的に亡くなっただけで、あたかも「悟った人」のように扱うこともあったようである

 七つめは、これは時折、世間では、わりと当たり前のように使われている「悟り」の概念になるのですが、要するにどんな人であっても、ごくごく普通の仕事や生活を送っていて、それで多少は宗教的なことに関わるような人生も送れているのであれば、「あまりはっきりとはわからないところが多いけれども、おそらく来世も、そこそこ大丈夫な世界に行けるのではないか」というような感じで、はっきり言ってしまうと、先ほどから述べているような非常に高いレベルの「悟り」というようなニュアンスは全くないのですが、「まあ、ある程度、この世的にそこそこまともな人生を歩めたのであれば、肉体的に亡くなってしまった後も、一応、悟っているということにしておこうじゃないか」というような意味での「悟り」という言葉の使われ方があるようです。

 もっと具体的に言うと、例えば、日本の仏教だと、亡くなった人々をみんなひとくくりにまとめて、「◯◯居士」や「◯◯信女」というような戒名の「仏様」と呼んだり、また神道でも、同じく亡くなった人々をみんなひとくくりにまとめて、「亡くなった人は、神になった」とか、「すべての祖先は、祖霊として子孫を守ってくれている」とか、「勇敢に戦った兵士は、死後、国を護ってくれる神になったのだ」などと言うことがあったり、さらにはキリスト教やイスラム教などでも、この場合は、あくまで個人として扱うことが多いのですが、亡くなった人々を「天に召された」とか、「神のもとに行った」とか、「アッラーのもとに帰った」などと言っていることがあるようなので、かなり単純に要約してしまうと、こうしたケースの場合、普通にある程度、まともな人生を生きていたのであれば、生前、それほど宗教的な人生や、ものすごい立派な人生を生きていた人でなくても、少なくとも亡くなった後は、そこそこ立派な仏様や神様になったり、あるいは、そうした仏様や神様の近くに行ったように感じている人々が多いようです。

※もう少し正確に言うと、たいていの人は、誰かが肉体的に亡くなると、その人の肉体から何かが抜けて、いなくなったように感じたり、また、その人の魂が近くにいるように感じたり、あるいは、その人の魂が、どこか遠くに行ってしまったように感じることが多いようなのですが、いずれにしても、そうした人が肉体的に生きていた時と比べると、霊的な感覚としては、多少すっきりした印象を覚えることが多いようなので、そうした表現を使うことが多かったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年3月23日 9:03 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道



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