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人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 6

6、時折、世間では、深い思索や実体験を通して、人間の人生や世界の真実を、非常に深く理解することを「悟り」と呼ぶことがあった

 六つめは、今度は、少し違った観点から見た「悟り」の意味になるのですが、多くの人々の様子を見ていると、これはそれぞれの人によって、かなり違った内容になるかもしれないのですが、その人自身の深い思索や実体験を通して、人間の人生や世界の真実のようなものを、自分の腑に落とすような感じで、非常に深く理解することを「悟り」と呼ぶことがあったようです。

 もう少し具体的に言うと、例えば、様々な人が、その人自身の深い思索や実際の体験を通して、「ああ、人間の人生って、こういうものなんだ」とか、「ああ、自分は将来、こういう人生を送ってゆくんだな」とか、「ああ、今まで全く気づかなかったけれども、世界の真理って、こういうことだったんだ」とか、「今まで自分には全くわからなかったけれども、いろいろな人の話を聞いたり、世の中のいろいろなことを学んだ感想としては、どうもこの社会や大自然は、こんな仕組みになっているんだな」などというような感じで、自分自身の人生や、身の回りの人々の様子や、もっと広くは、自分が生きている人間の社会や大自然のあり方や、さらには多少裏の事情も含めた世の中の本当の姿や成り立ちのようなものが、本当に自分自身の腑に落ちるように非常に深くわかった際に、時折、世間では、「ついに自分は、本当のことを悟った」とか、「本当の世の中の姿を知った」とか、「世界の真理を悟った」などというような表現をすることがあったようです。

 確かにこうした意味での「悟り」も、人間の人生や、世の中の営みの本当の姿を、自分自身の深い思索や実体験を通して、よくよくわかったというような意味では、「本当の真理を悟った」というように言えるようなところもあるのですが、ただ、そうした意味での「悟り」が、これまで述べてきたような宗教や哲学の世界の「悟り」と完全に同じような意味での「悟り」なのかと言えば、そうした宗教や哲学の世界の「悟り」とほぼ同じような意味の「悟り」であることもあれば、残念ながら、そうしたものとは、全く似ても似つかないような内容の気づきや勘違いであることも多いのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年3月19日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ



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