おそらく人類の歴史の中では、激動の年の一つとして記憶されるであろう2021年も、もう今日で最後の一日になりました。
今年は、みなさんにとって、どんな一年になったでしょうか。
毎年、年末頃になると、私の霊的に関わった仕事などについて、載せることが多いのですが、今年も他の文章を載せるのが多くなってしまったので、一月になってから載せようと思っています。
また後日、少し詳しく述べようと思っていますが、特に現在、12月ぐらいに入ってから、この物質世界の裏側の陰的な異次元世界が、この物質世界に非常に強く影響を与えやすくなってきているために、現在の辺りの時期は、普通であれば、それほど大変な目に遭わないような人が、突然、そうした世界の影響を受けて、ちょっと大変な目に遭いやすいようなところがあるようなので、かなり注意が必要になっているようです。
※つまり現在も多少、私達を取り囲んでいる霊的、異次元的な影響は、多少不安定なところがあるので、もうすぐお正月にはなりますが、多少注意が必要なようです。
今年もこのブログを応援してくださった方や、日夜、様々な霊的な光の仕事に携わってくれた方々には、心から感謝したいと思います。
また、定期購読してくださった方々にも、心から感謝しています。
現在、霊的には、多少不安定な状況になっているようなところがあるのですが、今年が、元々予想されていたような最悪の出来事は、それほどたくさん起きなくなっていったように、来年も、少しでも悪い出来事は減らし、また良い出来事が多くなってゆくように、みなさんと共に、私も努力してゆきたいと思っております。
それでは、みなさん、来年も良いお年を!
Cecye
Cecye(セスィエ)
2021年12月31日 9:07 PM, お知らせ / 現在のアセンションの状況
何日か、お休みします。
Cecye(セスィエ)
2021年12月28日 8:51 PM, お知らせ
こうした人間の考え方や行動のパターンから考えてゆくと、要するに一度、何らかの宗教や思想に基づく活動に深く関わるようになると、はっきり言ってしまうと、最初はともかくとして、その途中経過において、そうした宗教や思想の中心人物が、いくら最初の話と全く違うことを言い出したり、やりだしたりしたとしても、また、いくら最初の予言や理想とは、全く違う状況になったとしても、さらに場合によっては、いくら最初の話とは、全く正反対のことを言い出したり、やり出したりしたとしても、なぜか、あまり気にしなくなっていったり、あるいは、逆にそうしたことを批判するような人がいると、まるでそうした人の方が、完全に間違っているかのように非難し出したりするような状況になってゆくことも非常に多いようなのです。
ですので、特にこうした宗教や思想の活動にある程度、深く関わるようになった場合には、時折、少し冷静になって、「最初に聞いていた話や、活動の趣旨と比べて、その後の状況が大きく変化していることはないか」、また「大きく変化しているのであれば、それは十分納得できるような正当な理由があるのか」、それから、「元々、自分が目指していた理想や目的は、その後、十分に達成されたのか、それとも、されてないのか」、また、「最初の理想や目的は、その後、集団として、どの程度達成されたのか、それとも、あまり十分に達成されてないのか」などというようなことについては、できるだけ客観的に見直してみることが、とても大切になるのではないか、ということなのです。
その上で、もし最初の理想や目的とは、あまりにも異なる活動になっているにも関わらず、「どんなに大変でも、絶対にやめちゃいけないんだ」とか、「どんな不正な手段を使ってでも、何が何でもやり遂げなくちゃいけないんだ」などというように、かなり強迫的な心身の状態や、あるいは、かなり盲目的で病的な心身の状態で活動し続けるような状況になってしまっている場合には、できれば、再度、冷静に外部の人と話し合ったり、外部の情報を参考にしたりしながら、そうした集団からは、一度離れることを検討し直すことも、とても大事になるのではないか、というように思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月27日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化
その理由としては、人間の思考パターンの中には、一度、かなりきっちりと受け入れたことについては、その後、よほど大変な状態にでもならない限り、そう簡単には、なかなか変えようとしないようなところがあることや、また、その人の人生の中で、何らかのとても大変な状況の時に受け入れて、しかも非常にうまくいった考え方や習慣のようなものは、そう簡単には、なかなか変えようとしないようなところがあるからです。
それから、かなりややこしい人間の習性として、人間というのは、一度、何らかの集団に属して、非常に強い安心感や信頼感が得られた場合には、その後は、なかなか自分からは、そうした集団から抜け出ようとしなくなってゆくことが多いことや、また、そうした集団の他の人々も、その中に属する人が、何らかの理由で抜け出そうとすると、かなり一生懸命止めようとすることが多いからです。
ですので、はっきり言ってしまうと、人間というのは、一度、かなり強い信頼感や安心感が感じられるような集団に加わると、その後は、その人自身の感覚や考え方が、かなり大きく変化するか、あるいは、かなり大変な状況の変化でも起きない限りは、なかなか、そうした集団をやめようとしないようなところがあるものなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月25日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化
③どんなに素晴らしい人物の活動であると思われたとしても、一定期間ごとに最初の目的と、その後の状況の変化については、冷静に見直すようにした方がよいかもしれない
三つめは、これは人によっては、冷静に考え直すことは、かなり難しい内容になるかもしれないのですが、かなり大まかに要点だけ説明すると、こんな感じになります。
例えば、みなさんの目の前に非常に雄弁で説得力があり、しかも、とても感動的なスピーチができるような非常に魅力的な人物がいたとします。
そして、みなさんは、その人物のことを心から信じていて、その運動をとても大切に感じているので、単に話を聞くだけでなく、できるだけ多くの集会に参加したり、たくさん寄付をしたり、さらには、デモを行ったりするような様々な活動に参加していたとします。
たいてい、こうした活動は、世間ではよくあるものですし、また実際に非常に有意義な中身のある、評判の良いものもたくさんあるので、別段、こうした活動自体が、それほど問題になることは少ないのではないか、と思われます。
しかし、その後、月日が過ぎてゆき、数年から十年、二十年と時間が流れていったとします。
それで、ここからが問題なのですが、これは以前にも述べたことがあるのですが、こうした活動の場合(宗教なども含めて)、たいていは、ある程度長く信奉するようになると、そのままずっと長く続けてゆこうとすることが多いと思うのですが、しかし現代のように、かなり高度な情報化社会になっている場合には、できれば、数年に一度、少なくとも十年に一度ぐらいは、そうした活動から少し離れて、最初に聞いていた話や、活動の趣旨と、その後の活動の結果について、できるだけ冷静な客観的な態度で比較して、考え直すことが、どうしても大事になるのではないか、ということなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月24日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 歴史 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 軍事
それでは、こうしたことについては、いったい、どのようなことに気をつけてゆけばよいのか、というと、かなり大まかに要点だけを述べると、だいたい次のようなことが言えます。
これは多少、霊的な感覚についての説明になるのですが、簡単に言うと、もし自分が、何らかの新しい世界にすっかり夢中になったとしても、一日のすべての時間でなくてもよいのですが、時折、少し時間をとって、自分自身の心身の状態をある程度、客観的に見直してみることが、とても大事なのではないか、ということです。
そうして冷静に自分自身の心身の状態を振り返ってみた際に、わりと穏やかな調和した状態をある程度、きっちりと維持できているのであれば、それほど大変な状況になっていないと、客観的に判断してよいと思うのですが、しかし、そうではなく、そうして冷静に自分自身の心身の状態を見直してみた際に、例えば、いつも肉体的にとても疲れていて、ほとんど休みもとれていないとか、また精神的にも、いつも心の中がざわざわして、強迫的な感じで、とても焦ったり、怖がったりしているとか、あるいは、自分自身で冷静に考えて、判断しているのではなく、誰か別の人物(教祖的な人物も含めて)の言動や、周りの人々の言動などに、かなり盲目的に縛られるように動かされているような状況になっている場合には、自分自身の判断としては、どんなに素晴らしい人物の、どんなに素晴らしい活動であったとしても、いったん少し距離をとって、落ち着いて休みをとって、心身を休めたり、それ以外の様々な情報に触れたり、他の人の話を聞いてみたりするのが賢明なのではないか、というように思われます。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月22日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化
②本来の自分らしい、穏やかな落ち着いた心身の状態が維持できていないと感じた場合には、少し距離をとって、休憩した方がよいかもしれない
二つめは、一般に民主主義社会というのは、それぞれの個人の自由な考え方や行動を非常に良いものとして、かなり肯定的に捉えていることが多いのですが、ところが、みなさんもよくご存知のように、そうした民主主義社会においても、「どうして、こんなひどいことしたのだろうか」とか、「こんな反社会的な生き方は、絶対にやめてほしい」などというように、はっきり言うと、どう考えてみても個人の自由を完全に逸脱した、他の人々や生き物達を苦しめるような行為や、その人自身も破滅して、とんでもない不幸になるような行為をするような人々もいるので、結局、政府で様々な法律を定めて、警察が取り締まるようにしたり、また学校教育や、様々な啓蒙活動などによって、「ある一定の範囲内の自由はOKだが、それを逸脱する自由の行使はやめてほしい」というような社会のあり方になっているわけです。
それで、次は人間の性質についての話になるのですが、簡単に言ってしまうと、人間というのは、善良であることや正しいことも非常に大切にするけれども、一方で自分が、まだよく知らないような不思議なことや、危険なことや怖いこと、悪いことなどについても、単なる興味本位や生活上の理由などによって、結構強く惹かれていってしまうようなところがあるわけです。
そうすると、普通の生活を営みながら、せいぜい単なる興味本位や趣味程度で、ちょっと怖い映画やテレビを観るとか、ちょっと危ない世界の本やネットを読むなどというような程度であれば、別にそれほど問題ないのでしょうが、そうではなく、実際に自分の身で、かなり危険な行為をしてみるとか、完全に法律に触れることをやってみるとか、他の人々を傷つけたり、迷惑をかけるようなことをしてみるなどというような状況になると、この世的に見つかるかどうかはともかくとして、時折、世間を大騒ぎさせるような大問題を巻き起こすような状況になってしまうこともあるわけです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月21日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 軍事
その理由としては、だいたい次のようなことが言えます。
たいてい、ある程度の年齢になると、その人自身のそれまでの学びや経験などから、自分自身の判断には、ある程度の自信を持つようになってくるものです。
ですので、そうしたその人自身が持っている自分自身の判断力への自信に基づいて、その人にとって、非常に目新しい宗教や思想などに接した際にも、「これは、これまでの自分の知識や経験によれば、絶対に正しいはずだ」とか、「これは非常に驚くべき情報だ。私は、これは絶対に正しいと思う」とか、「今まで自分が、何となく感じたり、考えたりしていたことが、すべて肯定されているので、この人の話は正しいのではないか」などと考えることが多いようです。
ところが、よく考えてみると、それは非常に小さく限られた、その人自身の知識や経験の中だけからの判断なので、はっきり言ってしまうと、これは肯定的な意見も、否定的な意見も両方あるような話になると思うのですが、もっと広い知識や経験を持っている人や、また、そうした分野に非常に詳しい専門的な知識を持っている人や、さらには、もうすでにそうしたことについて、単なる知識だけではなく、十分な経験を積んだ人から見ると、全く違う見解を示される可能性も非常に高いわけです。
つまり、それまでのその人自身の知識や経験から判断すれば、「これは絶対に凄い」とか、「絶対に正しいんだ」と思えた内容であったとしても、そうした様々な知識や経験を持った人々から見ると、「そういう思想は時々あるんだけど、結構間違っていることが多いんだよね」とか、「これは専門的によく調べたことがあるのですが、全く事実が違っているので、完全に間違いです」とか、また、「あの宗教は、本当に心の平安が得られて、素晴らしかった」と言う人もいれば、「ああ、その宗教には、昔いたことがあるけど、今はインチキだったと思うな」などというように、その人自身としては、それまでの知識や経験から自分自身の判断にかなり強い自信を持っていたとしても、残念ながら、そうした他の知識や経験を持っている人々から見ると、かなり間違った判断になってしまっていることも、結構多いからなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月18日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 健康、医療 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 歴史 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー
そうすると、こうした場合、いったい、どのようにすればよいのか、というと、おそらく、だいたい次のような三つぐらいの解決策しかないのではないか、というように思われます。
①自分にとって、少し変わった、目新しい情報に接した際には、それと同じ分野の別の情報や、それを多少否定してくるような情報も一緒に学ぶようにした方が賢明である
まず一つめは、これは最初は、結構難しいと感じることが多いかもしれないのですが、たいてい自分自身や、あるいは、自分にとって、非常に大切な身の回りの人が、何らかの新しい宗教や思想のようなものに強く傾倒し出した際には、そうしたある特定の人物の主張ばかりを深く学ぼうとしたり、あるいは、そうした人物の主張に強く共鳴しているような人々の話ばかりを聞こうとすることが多いのではないか、と思われます。
しかし、特にあまり多くの人々に知られておらず、それほどオーソドックスとは言えないような非常に変わった、また、ある種の過激さを持った宗教や思想のようなものに強く興味を持った際には、できれば、そうした宗教や思想を学ぶ量や、そうした宗教や思想の人々と接する時間と同じくらいの量や時間を、特に最初の段階では、そうした宗教や思想と同じ分野の別のものや、または、それを多少否定してかかってくるような分野の知識を学んだり、あるいは、そうした人々の話を聞くような努力をした方が賢明なのではないか、ということです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月16日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化
それでは、そうした人がいた場合、いったい、どんなことに気をつければよいのか、というと、たいてい、そうした人は、人間の心の奥の恐怖心や欲望、怒りや闘争心や、何かを発散したい気持ちや、多くの人々で集まって、一体感を得たり、一緒に安心していたいなどというような意識の動きにつけこんで、様々な言動を繰り返しているようなところがあるので、よくよく冷静に見てゆくと、たとえ、その時々に言っていることはものすごく素晴らしいと感じられたとしても、だんだん時間の経過と共に、言っている内容が、結構大きく変わり続けてゆくことが多いようなのです。
それゆえ、そうした人の集団に属している人々は、「なんか、いつの間にか変わってきたな」とか、「前から、そんなこと言っていたっけ?」とか、「これって、なんでやってたんだろう?」などというような素朴な疑問を抱くことは、非常に多いようなのですが、しかし、そうした人が発している霊的な磁場のようなものは、非常に強力なので、少なくとも、そうした人を信奉している間は、かなり強い充実感や陶酔感が感じられたり、また自己顕示欲や、帰属欲求のような感覚も、かなり強く満たされていることが多いようです。
ですので、一度、そうした人の集団に加わってしまうと、周りの人々は、結構熱心に「それは間違っているよ」とか、「君はすっかり変わってしまった」とか、「もうやめた方がいい」などと言って、様々な形でたしなめようとすることが多くなってゆくものなのですが、ところが、そうした外部の人々の働きかけが多ければ多いほど、かえって、「自分達だけは、絶対頑張らないといけないんだ」とか、「あの人達の方が間違っている」とか、「自分は、絶対に裏切り者や落伍者にはならない」とか、「最後には、自分達が正しかったことが証明されるんだ」などというように、かなり意固地な感じで、なかなか、そうした活動から離れなくなってしまうことも多いようなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2021年12月15日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 現在のアセンションの状況 / 知恵、正しさ / 社会、文化