そうすると例えば、紀元1~2世紀頃のキリスト教徒が読めば、「ああ、これはあの帝国のあの皇帝のことを言ってるのかもしれない」とか、「これはあの大惨事や、あの大迫害のことを言っているのだろう」とか、「この教えによると、今は信仰を強く持って、もっと先の未来まで耐え忍べば、やがて千年王国の時代になるらしい」などというように、それなりにかなり納得して読めるようなところがあったと思うのですが、ところが、それから時代を隔てた別の国々で生活している、例えば、数百年後や千年後、二千年後の人々が読めば、また、「ああ、これはあの国のあの独裁者のことを言ってるのかもしれない」とか、「これは最近のあの大戦争や大惨事のことを言ってるのだろう」とか、「近い将来、世の終わりが来て、キリストの再臨があるのかもしれない」などというように、キリスト教の信仰のある人々から見ると、いつの時代のどの国や地域の人々が読んでも、そこそこ正しいと感じられる解釈ができるような、そうした少し変わった性質のある文章になっていたようなのです。
ですので、この辺りで結論を言ってしまうと、このヨハネの黙示録の内容は、この世的な解釈はともかくとして、当時のキリスト教徒から見た霊的な比喩や象徴や、未来の予言としては、実際の霊的な出来事や、それに関連する地上の世界の出来事を、かなり正確に表した文章であるようなところがあるので、それゆえ、このヨハネの黙示録は、霊的な事実としては、確かにかなり合っているようなところがあります。
それゆえ、このヨハネの黙示録は、現代人が読んでも、何となく、ものすごく正しい真実が述べられているような感じもするので、非常に気になるようなところがあるのですが、ただ、それでは、その通りに、この物質世界の未来の世界において、そうした出来事がすべて起きるのか、というと、現在置かれているみなさんの世界の状況を見れば、ある程度よくわかるように、実際にそうしたヨハネの黙示録に書かれているような出来事が、この世界ですべて起きるようなことは、ほぼ百パーセントの確率であり得ないということが言えるのではないか、と思われます。
Cecye(セスィエ)
2018年11月21日 9:03 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 予知、予言、未来予測 / 宗教、道徳