ところが、たいてい、どのような社会であっても、年とった人々が、束になってかかっても全くどうにもできずに、ずっと棚上げになり続けているような問題があって、できれば、誰かの知恵や力で、少しでも解決したいと思っていたり、また、それほど大成功したり、たくさんのお金にはならないかもしれないけれども、年とった人々が、少しでも何か手伝ってほしいと切実に困っていたりするようなことは、結構、あちこちにあったりするものなのです。
ですから、こうした現在の時点においても、その社会の年とった人々には、もうほぼ完全にお手上げ状態になっているような問題のうち、若い人々が関わっても、それほど大きな問題が起きないようなものに関しては、できれば、わりとしっかりした社会経験のある人々の監督や保護の下で、そうした若い人々にも、彼らの新しい発想や力で活躍できるような様々な機会を与えてあげると、若い人々の活躍の機会が増えて、そうした社会の閉塞感が減ると共に、また若い人々がある程度、年とった人々の知恵や経験に触れることによって、お互いにあまり正面から対立することなく、より和気あいあいとした形で、より楽しい豊かで幸福な社会になってゆくのではないか、ということなのです(参考)。
Cecye(セスィエ)