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古代の日本とユダヤ人の関係について Part 16

※アジアの遊牧民族と、中国や朝鮮、日本との関係について

 アジアの歴史だと、わりと歴史の記録が多くて、昔から様々なアジアの国々と関係の深い、昔の中国人の世界観に基づいた歴史の見方になりがちなようです。

 ところが中国のような大陸の国は(島国も似たようなところがありますが・・・)、大昔から東西南北あちこちの方角から、様々な民族が、次々とやってきては住み着いていった土地なので、実際には、中国の歴史上の記録では、まるで東西南北の蛮族のような扱いになっている国や民族であっても、それこそ最初のうちこそ文明のレベルに大きな差があったかもしれないのですが、古代の途中ぐらいの時期からは、もう国や民族によっては、その時代の中国よりも、様々な点で進んでいた国や民族も数多くあったようなのです。

 ですから現代人の視点から見ると、ほぼ明らかに蔑視的な名称であるとしか考えられない「匈奴(きょうど)」や「鮮卑(せんぴ)」といった名称で呼ばれる国や民族であったとしても、それでは、その時代のそうした国や民族が、本当にそれほど卑しい劣った国や民族であったのかというと、実際には、そうとも言えなかったのではないか、ということなのです。

 実際、中国の歴史では、そうした外国の異民族に戦争を仕掛けて、領土の拡大を図ることもあれば、また逆にそうした外国の異民族に戦争を仕掛けられて、支配階級が根こそぎ入れ替わってしまったことも数多くあったようなので、実際には、そうした卑しい劣った異民族がいたというよりかは、いつ頃の時代、どの地域から、そうした国や民族が入ってきたのかという程度の違いぐらいしか、本当はなかったようです(「中国」と呼んでいる地域も、最初は黄河の中下流地域ぐらいから、歴史と共にどんどん拡大していったようなところがあります)。

 ところがややこしいのは、そうしたその時代の中国や中国の一部を支配するようになった人々は、今度はそうした人々の権力の正当化を図るために、「自分達は、大昔からいる正当な中国人で、彼らの前の王朝こそが、とんでもない悪政で滅びたのだ」とか、「自分達は別として、中国を取り囲む四方には、自分達よりも劣った、とんでもない蛮族がいるのだ」というような国家観の歴史の記録を一生懸命作ろうとすることが、とても多かったようなのです。

 それで後の時代の人々が、過去の中国の歴史を調べようとすると、まるで中国が世界の中心で、周りには、野蛮な蛮族がたくさんいたような感覚の歴史の理解になりがちだったようです。

 ですから現在の中国に残っている歴史の記録というのは、その時代時代の中国を支配していた権力者の人々の都合で編集された歴史の話なので、実際のその時代の多くの人々の感覚としては、中国にいる大多数の人々の生活や文化にしても、また中国ではない、東西南北の広大なアジアの大多数の人々の生活や文化にしても、それこそ古代の終わり頃の段階では(おそらく、遅くても唐の時代ぐらいまでには・・・)、実際には、それほど大きな違いはなくなっていたのではないか、ということです。

※日本でも「唐」の時代の終わり頃になると、自国の国防には、それほど不安を感じなっており、また唐に行っても、それほど目新しく学べることがなくなっていたようなので、遣唐使の派遣は取りやめるようになっています。

※もっと簡単に言うと、中国の歴史で、東西南北の野蛮人のように説明されている国や民族の人々は、そんなに野蛮な国や民族の人々ばかりでなかったし(おそらく、古代の後半ぐらいからは、中国の人々と、それほど変わりない程度の道徳観や文化や技術を持っていた)、また、たいていの中国の王朝は、実際には、そうした元・中国周辺の大国や、元・遊牧民族の国の人々が支配階級になって統治していたことも多かったのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年4月25日 9:03 PM, ユダヤ教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 神道



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