※古代の中国や朝鮮と、倭国の関係について
あと、はっきりした記録に残っているかどうかはともかくとして、当時の倭国が、政治的にわりと安定した状況を維持するためには、どうしても中国大陸のどこかの有力な国の後ろ盾が必要だったので、最初の頃は漢帝国や、また情勢によっては、より北方の匈奴(きょうど)の半分属国ような形で軍事的、政治的な後ろ盾を得たり、貿易や文化の交流を行うような国のあり方になっていたようです。
また、これは時代により、かなり状況が違うようなのですが、当時の朝鮮半島の拠点の方が、どちらかというと倭国の政治の中心になっていた時代や、それから現在の九州の福岡の辺りが、倭国の政治の中心になっていた時代、さらにもっと時代が下って、後の「大和朝廷」があったとされる関西の辺りに倭国の政治の中心があった時代があったようです(九州に倭国の中心があった時代には、当時の朝鮮半島のほぼ全部、少し時代が下ると、少なくとも当時の朝鮮半島の南半分ぐらいは、倭国が直接支配していたようです)。
あと、これは現代でも似たようなことは、よくあるようなのですが、そうした倭国の政治状況だったので、当時の中国大陸で何か大きな政治的な変動が起きると、その影響が中国周辺のあちこちの地域に及んで、当時の倭国でも政治的な変動が起きるとか、また場合によっては、それが原因で政治権力の交代が起きるようなことが、何度も何度も起きていたようです。
Cecye(セスィエ)