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古代の日本とユダヤ人の関係について Part 11

 もう少し時代が下って、やがて当時の秦が、戦国時代の覇者として中国を統一した後、わりと短期間のうちに亡びてしまうと、次には紆余曲折の末、新たに漢の国が起きてくるのですが、当時の多くのユダヤ人の人々が、アジアの東北部の辺りに大勢やってくるようになったのは、どうもその頃からが多いようです。

 当時のユダヤ人の人々は、長い放浪の歴史から、少々国が物騒になっても、そう簡単に大勢の命が狙われたりしないように、医療や特殊な技術に関わるような仕事を身につけていたり、また、非常に広範囲の地域に分散して、交易に関わるようなネットワークを築いていたようです(一部は、古代の中央アジアにあった国や民族として記録に残っているようです)。

 そして、そうした商工業に関わる広いネットワークや、彼ら独自の政治力を活かして、当時の漢帝国の中で独特の存在感を保ちながら、当時の中国の東北部の辺りに彼らの拠点を作っていったようです。

 その際に、当時の中国の東北部から朝鮮半島の辺りでは、前の秦帝国の時代に逃げ出した人々や、そう簡単には漢の勢力圏に組しないような人々が、まだ何派かに分かれて、群雄割拠するような状況が続いていたようなので、その辺りで彼らの移動には、大きな壁ができてしまうような状況になっていたようです(当時は、朝鮮半島を押さえた勢力が、半自動的に、当時の日本列島の九州や日本海沿岸の地域も同時に押さえるような状況になっていたようです)。

 その後、先ほど述べたようなスサノオのモデルになった人物の活躍により、当時の朝鮮半島を押さえると、やがて当時の九州の辺りに到着するのですが、こうした歴史の経緯なので、おそらく年代的には、紀元前2世紀頃には、当時の九州の辺りに、かなり大勢の、当時の中国語や中央アジアの言葉をしゃべる、かなり大勢のユダヤ教を信奉する人々の集団がやってきていたようです。

※私の文章で述べている「スサノオ神話」のモデルとなったと思われる人物の話と、古代朝鮮で「衛氏(えいし)朝鮮」と呼ばれる王国(正確な国名は不明らしいです)を作ったとされる「衛満(えいまん)」(これらも正確な名前や業績は不明らしいです)と呼ばれる人物の話が、時代や場所や状況などの点で、多少重なるところがあるようです。ただし、スサノオのモデルになった人物は、単なる武人ではなく、かなり神秘的な力を使うこともあったようなので、そうした話は、当時の漢帝国の都合などで、あまり詳しく残っていないのかもしれません。

※結局、その後、約百年ほどで衛氏朝鮮の時代は終わり、当時の朝鮮の大部分は、漢帝国の直接の支配下に置かれるようになるのですが、そうした当時の漢帝国の朝鮮支配をなるべく正当化するために、衛氏朝鮮の前の朝鮮の政権は良かったんだけど、それを乗っ取った衛満や、その子孫は、少しずるがしこいダメな人間だったのだとか、そうした衛氏朝鮮を滅ぼした漢帝国は素晴らしい政治をしたのだ、というような歴史の記録を作るようにしたのかもしれません。あと、当時のユダヤ人の人々からすると、中央アジアから中国や朝鮮、日本への安全な貿易や移動のルートさえ、しっかり確保できればよかったので、彼らの政治的な立場が、わりときっちりと保証されている漢帝国が直接、当時の朝鮮の大部分を支配していた方が、いろいろと都合が良かったのかもしれません。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年4月18日 9:03 PM, ユダヤ教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 神道



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