何日か、お休みします。
Part 1〜3に次の文章を追加しました。
※南のユダ王国は、その後もしばらく存続して、やがて、その後のユダヤ人のルーツになってゆくのですが、そうした経緯で、現在伝わっているユダヤ教と、そうした「失われた十支族」系のユダヤ教では、同じユダヤ教でも教えの内容には、かなり違いがあったようです。それというのは、その後のユダ王国では、有名なバビロンの捕囚(新バビロニアとの戦争に負けて、ユダ王国の多くのユダヤ人がバビロニア地方に強制移住させられた)が行われたり、ローマ帝国を初めとするような様々な大国の支配下に置かれたり、キリスト教の迫害に関わったり、とても悲劇的な形で国を失って、民族的な離散を体験することになっていったからです。その結果、ユダ王国系のユダヤ教では、現在のユダヤ教を特徴づけることになるような、神による天地創造の話がつけ加えられたり(バビロン捕囚の時代に、バビロニアの宗教の影響で付け加えられたようです)、宗教的なエリートを中心とする、かなりきっちりとしたユダヤ教的な組織体制や、律法を重んじる宗教スタイルが、かなりきっちりと作られていったようです。ところが、先に滅びてしまった北のイスラエル王国系のユダヤ教では、そうした民族的な体験はあまりなかったので、現在、多くの人々に知られているようなユダヤ教的な要素は、それほど強くなかったようなのです(単純に言って、非常に霊的で、法治主義的なのですが、古代世界の他の民族と一緒で、それほど特殊な悲劇的な要素はあまりなくて、宗教的には、極めて真面目なのですが、もっと素朴であっけらかんとしていた感じがします)。
※おそらく、中国の秦の時代の伝説上の人物、「徐福(じょふく)」が目指した、不老不死の霊薬が得られる、神仙が住む三神山のある地というのは、こうした「神の民」のような人々が住む場所だったのではないか、と思われます(そこに住む人々は、非常に長寿だったので・・・)。ただ彼らの集団は、結果としては目的は果たせずに、現在の紀伊半島の辺りに集団で移住することになったようです。さらに時代をさかのぼると、いにしえの時代には、そうした神の民のような人々は、現在の中国の東北部や、現在、霊山として知られるような深い山々のような土地にも住んでいたようです(仙人ではないのですが・・・)。
※あと、現在の九州の北部が倭国の中心であった時代には、これは時期にもよるのでしょうが、その時代の朝鮮半島全部、あるいは朝鮮半島の南半分ぐらいは、倭国の支配下に置かれていたようです。それから、もう少し時代をさかのぼると、逆に朝鮮半島に主だった拠点があった時代もあったようです。ただ当時の朝鮮半島も、倭国の政治状況と同じで、時期により幾つかの国に分かれて成り立っていたようです。
Cecye(セスィエ)
2017年4月8日 5:07 PM, お知らせ