そのような過程では、だんだん霊的、精神的、あるいは肉体的に自分自身が、この宇宙を創った創造主である神仏と一体になった感覚を持つようになることが多いのですが、そうしたこの宇宙を創った創造主である神仏と一つになるような究極の悦びのことを、宗教的には、霊的な悟りや、信仰による至福の体験と言ったり、また、もっと身近な内容としては、人間であっても、その他の生き物であっても時々感じることのある、とても素晴らしい至福の体験や、男女のセックスの営みによるエクスタシーの体験と言ったりするのです。
いずれにしても、人間であっても、様々な生き物であっても同じで、本当の意味で「生きる」というのは、この宇宙を創った創造主である神仏と一つとなり、また大宇宙、大自然のすべての生命とも一つになるような、そうした至福の体験をすることなのであり、そして、そうした至福の体験をすることが、すべての魂の中にある非常に強い魂的な欲求の一つであるということが言えるでしょう。
人間や様々な生き物に元々備わっている魂の欲求としては、だいたい以上のような六つの内容があげられるのではないか、と思います。
※ただし、人間であっても、様々な生き物であっても、自分がとても不幸になった際には、幸福になりたいと思ったり、また自分以外の他の人々や生き物達がとても不幸になった際には、そうした人々や生き物達を幸福にしてあげたいと思うような、いわゆる「幸福欲求」のようなものが、しっかりあるようなところがあります。ところが、本来の意味で霊的に見ると、元々は、人間にしても、様々な生き物にしても、常に幸福であるのは、当たり前であったようなところがあるので、ここでは、こうした「幸福欲求」のようなものを、人間や様々な生き物の魂の欲求として説明するのは、控えることにしました。実際、五次元以上の高次元宇宙では、普通、みんな幸福であるのは当たり前のようなところがあるので、こうした幸福欲求のようなものは、魂の欲求としては、ほとんど感じられないようなところがあります。ただ、四次元以下の低次元宇宙では、様々な人々や生き物達から、「少しでも不幸を取り除いて、幸福になりたい」というような幸福欲求が、非常に強く感じられるのも事実です。
Cecye(セスィエ)
2017年3月18日 9:01 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 知恵、正しさ