そうした時代がしばらく続いてゆくと、ある段階から、それまで右に行っていたかと思うと、今度は左に行くというように、ずっと試行錯誤を積み重ねるような感じで、どっちつかずで、あまりはっきりした方向性が定まっていなかった大勢の人々が、そうした社会の中で、まがりなりにも自分なりに、より良く生きるためのコツや知恵のようなものを、様々な経験を通して、ある程度しっかりつかむようになってきて、単に新しいか、古いかではなく、また単に自国寄りか、外国寄りかでもなく、それから単なる自分勝手でもなければ、自己犠牲的でもないような形で、そうした社会の中での人間としてのより良い生き方を、それぞれの個人の信念や知恵として、ある程度、しっかりと持つような時代になってゆくようです。
そうした時代になってくると、多くの人々に担ぎ上げられるような立場の政治家や役人や経営者や文化人のような人々もまた、そうした多くの人々のある意味、安定した経験に裏付けられた信念や知恵に支えられるような形で、「ここは新しい考え方ややり方で行こう、だけど、これは少し古い伝統的なデザインや考え方ややり方の方がいいだろう」などというような具合に、そうした少し前の社会の混乱期に比べると、もう少し落ち着いた感じの社会に変わってくるようなところがあるのです。
そうすると、こうした社会にできるだけ早く移行させてゆくには、いったいどうすればいいのかというと、これは単純で、とにもかくにも浮ついた建前や理想論のような話ではなく、「自分で何かやってみた結果、こうなった」とか、「別のある人が何かしたら、こんな感じになった」とか、「昔の◯◯という政治家や経営者が、こうやった時には、こんな成果があった」とか、「ああいう政策をやった時には、結果として、あんな失敗点があった」などというような感じで、自分自身だけでなく、できるだけ多くの人々の具体的な個人の体験や、企業経営や政治の結果のようなものを、多くの人々が数多く知るようになってゆけば、それほど浮ついた感じではなく、また大勢の人々が右往左往するような混乱状態に陥ることもなく、多くの人々が、わりとしっかりと地に足をつけた感じで、より良い社会に変化されてゆくことができるのではないか、ということです。
Cecye(セスィエ)