さて、それでは、こうした社会のあり方に関して、いったい何が問題であったのか、というと、これはそうした社会の中に長年住んでいると、はっきり言って、ほとんど客観的には、よく理解できないような話になることが多いのですが、大まかに言うと、次のような二つのことが言えます。
1、民主化や近代化の際によく起きがちな政治の腐敗と、長期的に見た国全体の発展の関係について
まず一つめは、これは、そうした社会の移り変わりの時期によく起きがちな話になるのですが、実は、そうした一昔前の時代によくあった封建制の時代から、民主制や近代的な社会に大きく移り変わってゆく際には、たいてい、ほぼ一定期間の間、ある業界やある地方において、突然、突発的に景気が良くなって、ものすごく金回りがよくなったかと思うと、今度は、別のある業界やある地方において、同じように突然、突発的に景気が良くなって、ものすごく金回りが良くなるような経済現象が、何度も何度も繰り返し起きてゆくことがあります。
その際に、これは、まだその国の政治風土や経済や、市民意識の発達が不十分なことが原因で、多くの人々にそう考えられることが多いようなのですが、「これは、政治家の◯◯さんの口利きのお陰だ」とか、「これは、あの◯◯という役人がうまく取り計らってくれたからだ」とか、また場合によっては、「この前の一世一代の不正な大接待で、この何百億円の大事業が、この街に舞い降りたぞ」とか、「この前の陳情が功を奏して、ついに我が社にすごい仕事が回ってきた」などというように、はっきり言うと、多くの人々が、何となく感じている民主主義や、公正で正しい法律に基づいた政治のイメージとはかなり違った感じで、その国の多くの人々が、ほとんど知らないような理由で、あっちの会社に大口の仕事、こっちの地方に大事業などという具合に、国民から集めた税金を使って(ここ数十年は、先進国の援助も多くなりましたが・・・)、次々と大盤振る舞いの大金の大事業が、国中を転々と移動するように行われてゆくことが多いのです。
Cecye(セスィエ)