Light Symbol

人間の知的な成長のプロセスと、より良いコミュニケーションのあり方について Part 24

現在の段階では、多くの人々の間の物事や言葉の意味やニュアンスには、かなり大きな違いがあるのだが、将来的には地球規模で、ほぼ同じような物事や言葉の意味やニュアンスに統一されてゆくだろう。

 さて、ここでもう一度、それぞれの個人としての物事や言葉の意味やニュアンスの理解の過程を振り返りながら、今後の地球規模での多くの人々の間の物事や言葉の意味やニュアンスの変化の未来について、少しだけ考えてみたいと思います。

 

①生まれたばかりの子供は、触れる、嗅ぐ、味わう、聞く、見るといった五感を通じた体験によって、身の回りの一つ一つの物事について、「わかる」という体験を積み重ねてゆく

 これは最初にも述べたのですが、人間が、本当の意味で物事や言葉の意味やニュアンスを理解してゆくプロセスにおいては、これは、みなさんの子供の頃の体験を思い出していただくと非常にわかりやすいのですが、例えば、身近な例として、物質世界の「水」というものを理解してゆくプロセスを考えてみると、おそらく、子供の立場からすると、最初は「水」という言葉や文字というのは、ほとんど何の意味かもわからないような状態で、そうした現実にある「水」というものに触れる、嗅ぐ、味わう、聞く、見るといった自分自身の五感による様々な体験を通して、そうした「水」とは、いったい何なのか、ということを理解してゆくのではないかと思われます。

 もう少し具体的に言うと、こんな感じなのですが、おそらく最初に子供が水を見たり、触ったりした時の印象は、「なんだろう? あの透明なプチョプチョしたものは?」というような感じで、ものすごく興味を持った後に口に含んだとすると、「そんなに味や匂いはしないなあ」と感じ、さらに手で触れた際には、「ああ、なんだか、ちょっと冷たい、ピチャピチャした感じだな」などというように感じているのではないか、と思われます。

 それから次には、手でバチャバチャ、水を動かしてみると、「ああ、これって、ピチャピチャ動いて面白いや」などと思って、手でバタバタ動かして、水で遊び始めたりすると思うのですが、そこでママやパパが見ていると、「わあ、水がこぼれちゃう」と慌てて水を片付けてしまうか、あるいは、水遊びしても大丈夫な場所の場合には、一緒にニコニコして微笑んでいたりするかもしれません。

 ところが、その後、水遊びに集中しすぎて、転びそうになったりすると、ママやパパが慌てて手で押さえてくれるかもしれないのですが、そうすると本人としては、「ああ、これは面白いけど、手をパタパタやりすぎると、転びそうで怖いや」などというように、そうした「水」というものに対して、様々な感想を持ちつつ、ある種の経験値を積み重ねてゆくわけです。

 このような形である程度、大まかに「水」とは何かということを理解した段階で、人間は、そうした物質世界の「水」というものが「わかった」というように考えるのではないか、ということです。

※生れたばかりの子供は、最初は見たり、聞いたりしても、なかなか何のことだか理解できないことが多いので、直接自分で触ったり、なめたりするような感じで、実際に自分の体で触れた際の感覚や味や匂いなどで、一つ一つの存在が、いったいどのようなものなのか、ということを一生懸命理解しようとしていることが多いようです(子育てしている親の側としては、時々、汚い物もあれば、危険な物もあるので、あれあれと慌てることも多いのですが・・・)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年8月3日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事