⑤自分と相手の間に、かなり大きな理解の壁が生じている場合には、相手をやっていることを、自分も実際にやってみたり、少しでも一緒に手伝ってみるような努力が非常に重要である
五つめは、これは、ある意味で当然のことと言えば、全く当然のことになるのですが、要するに自分と相手との間に、なかなか、そう簡単にはお互いに理解しがたいような非常に大きな壁のようなものを感じる場合には、これは多少面倒臭かったり、場合によっては、とても大変なケースもあるのですが、とにかく少しでもよいので、自分が、何とか理解したいと思っている相手のやっていることを一緒に手伝ってみたり、何らかの形で一緒にやってみるような努力が、とても大切になります。
それというのは、これは言葉によるコミュニケーションの最大の問題になりやすい内容になるのですが、要するに人間というのは、いつも相手のことをよく見かけていて、しかも、よく話したりしていると、何となく自分のことと同じように、相手のこともよく知っているような気分になりがちなのですが、ところが、人間というのはそれほど単純でもなくて、例えば、いつも自分のそばにいて、自分がよく見たり、話したりしているような人であっても、ひょんなことから少し仲違いしてしまった時などに、よくよく相手の話を聞いてみると、普段、自分が考えていることと、相手が考えているが、かなり大きくずれているとか、あるいは、普段、自分が想像していた相手の感覚と、実際の相手の感じている感覚とが、かなり大きく食い違っていたりすることが結構あったりするものなのです。
つまり言葉によるコミュニケーションの最大の問題は、ひょっとしたら、本当は、自分がよくわかっていないかもしれないようなことであっても、何となく、よく知っているような気分になってしまったり、あるいは、本当は自分の話している相手が全然違うことを感じたり、体験したりしていたとしても、そうしたことをほとんど無視するような形で、相手のことをある意味、自分の色メガネ的な感じで、間違って理解していることがあるかもしれないということなのです。
そうした意味で、本当に相手のことをよく理解してゆくためには、どうしても言葉によるコミュニケーションだけではなく、自分が理解したい相手の普段体験していることを一緒にやってみるとか、あるいは、自分が理解したい相手が非常に面倒臭く、大変だと思っていることを、ほんの少しでいいから、少しでも一緒に手伝ってみるような努力が、とても大切になってくるのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)