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現在のアセンションの進行に伴う霊的な注意点について Part 29

 二つめは、これは多少難しいところもあるのですが、現在、アセンションの進行の影響によって、神社仏閣によっては、様々な理由で、もうそこには神仏が来なくなっていたり、また神仏の光は降りていたとしても、サブ的な形で祭ってある荒御魂(あらみたま)や脇役的な神仏の所の方に、ずっと本当の神仏の光が降りるようになってくるかもしれないということです。

 これは現在進行形で、常に変化し続けていることなので、はっきり言って、まだ現在の段階では、あまりはっきり言えないようなことも多いのですが、おそらく、もうしばらく経った頃になると、多くの人々の自然な感覚として、あるいは体験的な理解として、「ここには、本当の神仏の光が降りているが、ここには降りていない」とか、「昔は、この神は、本当に素晴らしい存在だと思っていたけれども、最近は、荒御魂の方が、何となく優しくパワーが強いように感じられる」とか、「これは脇役の神のはずなんだけど、本当は昔のどこかの時代から、ずっと封印されていた、ものすごく偉大な神仏だったように感じられる」などというように、そうした多くの人々の神仏への自然な感覚の変化や体験的な理解の積み重ねによって、現在の状況とは少し違った感じの宗教のあり方に変わってくる可能性があるようです。

※あと、それぞれの人の日頃の心がけによって、そうした神仏がいたり、いなかったりするように感じられるようなことも、今後は、どんどん増えてゆくように思われます。ただ、こうしたケースの場合、心がけの良い人は、別に神社や寺や教会などに行かなくても、ある程度心を澄ませば、そうした神仏の存在を感じられるはずなので、実際には、あまり関係ないようなところもあります。

※キリスト教やイスラム教と違って、特に神道や一部の仏教や道教では、特にこういう考え方や生き方で生きれば、神仏の加護が得られたり、死後も天国に行けるというような教えがあまりないようなところがあるので、ですから、よく考えてみると、そもそも最初の段階から宗教としては、神仏に無理を課しているというか、霊的にも、この世的にも絶対、無理な宗教になっているようなところがあります。それというのは、たいてい人間社会でも、「こういう場合は、あなたは大丈夫だけど、こういう場合には、どうやっても大変なことになってしまう」というような内容があるように、たとえ、どんなに優れた神仏のような存在がいたとしても、「どんなにめちゃくちゃなことをしても、絶対にうまく行く」なんてことは、絶対にありえないのではないか、と思われるからです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年4月26日 9:04 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 現在のアセンションの状況



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