三つめは、それでは、こうした生き物は、いったいどのような状況において、それぞれの生き物としての最も適切な個体数、つまり多くなったり、少なくなったりするような個体数の満足を見出すのかというと、これは多少ややこしい概念になるのですが、大まかに言うと次のような三つのことが言えます。
一つめは、これは少し複雑な概念になるのですが、例えば、人間や生物を一種の機械のようなものとして考え直してみると、人間の体であれば、骨や筋肉の組織や、たくさんの血管やリンパ管や神経の束や、それから目や耳や鼻や口や皮膚にある感覚器官や、心臓や胃や腸のような内臓器官などというように、たくさんのパーツでできているようなところがあるのですが、そこをさらに細かく分類してゆくと、血液と言っても、赤血球や白血球や血しょうといった様々な小さな細胞が循環していたり、さらに一つ一つの細胞をのぞいてみると細胞の中には、細胞核を中心にさらに小さな様々な生命のようなものが生きているなどというように、要するに人間という肉体の一つの生命体が生きてゆくためには、大小様々な形や役割を持つ非常に複雑極まりないたくさんの小生命達が、常にお互いに協力し合うような形で生命活動を続けているようなところがあるわけです。
そうすると例えば、人間がどこかで怪我をして、体の中から多少血が外部に流れ出てしまったとすると、そのままではそうした人間の肉体生命が維持できなくなってしまうので、体のあちこちでお互いに協力し合うような形で新しく血液の成分になるような細胞や液体を作り出しては、そうした血液が十分な量になるまで補充していったりするわけですが、そうした際には、単純に言ってしまうと、たとえ一つ一つの細胞に何らかの意思があったとしても、そうしたものはある程度無視した形で、人間の肉体全部のより良い状態の維持のために、そうした細胞の増殖や補充や廃棄が行われてゆくわけです。
そうすると、こうした観点から見てゆくと、単純に人間や生物の体を一つの生命単位として考えた場合には、常にそうした一つの生命体全体のより良い状態を保つために、そうした生命体を構成している肉体器官や細胞は増えたり、減ったり、また場合によっては、新しく創造されたり、壊されたりしているということが言えるようです。
Cecye(セスィエ)
2016年2月1日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 自然、生命