再び「霊と肉体の意識活動について」の話になります。
七つめは、これは霊的なことがわかる人には、わりと身近な話になると思うのですが、人間や生物の間には、物質的なエネルギーとはかなり違った霊的、あるいは精神的なエネルギーのようなものが、お互いに非常に密接に働きかけ合ったり、影響し合っているようなところがあります。
大まかな要点としては、四つあるのですが、まず一つめは、多くの人々の間では、これは単純に「愛」の感覚として理解されていることが多いのですが、要するに誰かのことを大切に思ったり、何かしてあげたいと思っている時には、そのような形で誰かのことを大切に思ったり、何かしてあげたいと思っている人や生き物のところから、大切に思われ、何かしてもらいたいと思われている人や生き物のところへ、非常に精妙な愛のエネルギーが流れてゆくということです。
これは非常に精妙な精神的なエネルギーであるので、この世的に物質的な尺度で測ることはかなり困難なところがあるのですが、それにも関わらず、多くの人々や生き物達は、こうした愛のエネルギーの存在を体験的にはよく知っていて、誰かに大切にされたり、愛されたりした時には、心の中に強い幸福感や満足感を感じたり、また、そのようにして誰かを大切にしたり、愛している人自身の心の中にも、同じように強い幸福感や満足感を感じさせるようなところがあるのです。
ところが、こうした愛のエネルギーというのは、この世的にはなかなかうまく客観的に把握できないことが多いにも関わらず、霊的、精神的にはかなり強烈にそれぞれの人の心の中(胸の辺りで感じる感覚が多いでしょうか)を非常に強い幸福感や満足感で満たしてゆくような感覚や、あるいは、その反対に心の中をあまり満たされないような感覚、つまり精神的に非常に疲弊した枯渇した感覚を持たせやすいようなところがあるために、今日も多くの人々の間では、「私はこんなにあなたのことを愛しているのに、あなたは全然、私のことを愛してくれない」とか、「一生懸命、他の人や生き物のために頑張っていたら、すっかり疲れてしまった」とか、「こんなに私のために頑張ってくれるなら、何かお返しみたいな行為でもしないと気が済まない」とか、「こんなに大きな慈愛で自分を愛してくれる神仏のように、私も誰かのため、世界のために、もっと一生懸命何かをしてみたい」などというように、要するに物質的に目で見え、耳で聞こえるような内容の物事ではなく、霊的、精神的に「あの人のために何かしたい」とか、「なぜかはよくわからないけれど、自分の心の疼きやもやもやのようなものを誰かに埋めてもらいたい」とか、「いつも自分が愛し愛されるような恋人や結婚相手が欲しい」とか、「いつも側にいて、可愛がってあげたり、自分を慕ってくれるペットが欲しい」とか、「いつも精神的に信頼と愛の感覚を与えてくれる神仏を信じてみたい」などというように、人間や生き物の中にある非常に根源的な愛の欲求を生じさせるようなところがあるのです。
Cecye(セスィエ)
2015年12月14日 9:07 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 愛について / 結婚、家庭 / 自然、生命