二つめは、そうすると、ここで問題になるのは、そうした世襲制の君主が持っていた統治権とは、いったいどのようなものだったのか、ということになるのですが、大まかに言うと五つあるのですが、まず一つめは、そうした一定の広さの土地と、そこに住む人々や、そこにある様々な物に対する所有権を持っていたということ(昔は、国の土地や物だけでなく、そこに住んでいる人々も君主のものというような観念がとても強かったようです。いわゆる、「ご主人様みたいな・・・」)と、二つめは、そこに住む人々に対して、「ああしなさい」、「こうしなさい」というような命令権(行政権)を持っていたということと、それから三つめは、「これはやってよいが、これはやってはいけない」というような、その国の正邪を定める立法権のようなものを持っていたということと、四つめは、それに伴い発生する、「これは良いことなので褒め称え、褒美を与えるが、これは悪いことなので罰する」というような裁判権(論功行賞も含めて)のようなものを持っていたということと、さらに五つめは、その国の治安を守ったり、また他の国々の侵略から自国を守ったり、逆に他の国々を侵略したりする際の軍事力(警察的な機能も含めて)を持っていたということがあげられます。
それがやがて、近代化の波と共に大きく変わってゆき、君主の主権(統治力)は憲法や法律などによって徐々に制限され、単なる名誉職的な扱いになってゆくと共に、国民一人一人の自由や人権(個人の所有権に関しても)がはっきり確立されてゆくようになりました。
さらには、できるだけそうした国家の権力の濫用が起きないように立法権(議会)、行政権(政府)、司法権(裁判所)をそれぞれきっちりと分けたり、軍隊を君主の管理ではなく、国民の代表が治める民主的な政府の管理でしっかり運営するような仕組みに変わってきたわけです(別に国民のためにしっかりした政治を行っているのであれば、王政のようなものが全部悪いというわけではないのですが・・・)。
Cecye(セスィエ)