それから二つめは、これも非常に不思議な話になるのですが、実は、大日本帝国憲法には、ある意味で一種の宗教経典なのではないかと思われるような非常に不思議な特色があって、それが大日本帝国憲法の前文に述べられているような内容になるのですが、大まかに言うと、次のような五つの内容になります。
一つめは、大日本帝国憲法のそもそもの起源が、日本に古くから伝わる神道の神々とその教えに基づいていると述べられていること、二つめは、大日本帝国憲法は、そうした天皇からすべての「臣民」(天皇の家来の民のような意味です)たる国民に発布している形式になっていること(つまり宗教的に見た場合には、まるですべての国民が「天皇教」の信者のような立場として扱われていることになります)、三つめは、大日本帝国憲法は、現在の日本国憲法のような最高法規ではなく、その時々の天皇や皇族が定める皇室典範を初めとする法律と同列の扱いになっていること、それから四つめは、大日本帝国憲法は国家の法律ではなく、まるで宗教経典の扱いと同じように永遠に変えてはならない永遠の真理、あるいは、永遠の臣民である日本国民が従わなくてはならない永遠の法であるかのように述べられていること、五つめは、これはさらに問題が大きいのですが、大日本帝国憲法には、その憲法に逆らうことは、単に法律に触れるような犯罪を犯すのではなく、まるで天の神々に逆らう宗教的罪悪を犯すことであるかのような文章が見られるので、はっきり言うと、これは単なる国の憲法というよりも、人間としての生き方や善悪を規定しているような、ほぼ宗教聖典のような憲法の作りになっているようなところがあったのです。
そうすると、単に天皇や天皇周辺の人々が強大な国家権力を持つのみならず、それと同時に非常に崇高な宗教的な権威をも併せ持つような、そうした天皇の権力や権威をほぼ絶対的なレベルで肯定するような大日本帝国憲法がいったん成立してしまうと、その後、国がまるごとひっくり返るか、あるいは、天地がまるごとぐちゃぐちゃになるような大混乱や大破滅でも起きない限り、この大日本帝国憲法に基づく国家運営をしている大日本帝国は、いくら国内や国外で様々な問題や混乱があったとしても、そう簡単にはなくならないような、はっきり言うと、かなり究極に近いレベルの一種の洗脳国家が作れてしまうようなところがあったのです。
※前にも述べましたが、日本伝統の神道にそこまでの霊的な正当性や真実性はありません(参考1、参考2)。
※あと大日本帝国憲法では、天皇や皇族以外の国民を「臣民」、つまり簡単な言葉で言うと、天皇の家来(しもべ)、天皇の民のような立場としていました。臣民の義務として代表的なものに兵役と納税の義務があるのですが(今でも日本人は「徴兵制」と聞くと、かなり神経質になりますよね)、その上で、一見現代の日本ともよく通じるような一通りの臣民の権利(居住や転居の自由、通信の秘密、所有権、信教の自由、言論の自由など)が保障されていました。ただ、ここで問題になるのは基本的に大日本帝国憲法では、国民主権ではなく天皇主権の憲法になっていたので、大日本帝国時代の政治や生活の実態を見ると、どちらかと言うと、常に国家権力が国民に対して一方的に強い権力を行使しすぎるような状況になることが多かったように思われます。こうした大日本帝国憲法と比べて戦後の日本国憲法では、遥かに広範囲かつかなりしっかりしたすべての国民の自由や人権が保障されているので、正直言って、大日本帝国時代は、なんだかんだ言っても多くの人々は嘘や我慢を強いられるようなところが多かったのではないでしょうか。
Cecye(セスィエ)