現在の日本国憲法が施行される前には、みなさんもよくご存知の一時は「不磨の大典」(完全に完成された大憲法のような意味だと思われます)とも言われた「大日本帝国憲法」という憲法に基づいて日本の統治が行われていたわけなのですが、ところが現在、多くの日本人が考えている大日本帝国憲法のイメージと、実際の大日本帝国憲法のあり方には、かなり大きなズレがあるように思われるので、今回から、こうした内容について、幾つかの観点から述べてみたいと思います。
※昔の大日本帝国憲法は、現在の「日本国憲法」の下地になったようなところがあるのですが、なぜか霊的には、現在も日本や日本人に対して、ある程度の霊的な影響が見られるようなので、21世紀初めの現代人から見た昔の「大日本帝国憲法」のあり方について述べてみたいと思います。
1、今日の日本人の目から見ると、大日本帝国憲法の正当性の拠り所は、それほどしっかりしたものとは言えないようなところがある
まず第一には、現在の日本の国家統治の基本を定めている「日本国憲法」の正当性は、主に国民主権に基づいている、つまり基本的には、現在日本に住んでいる日本国民の大多数が現在の憲法のあり方をよしとしている、というところに憲法の正当性の拠り所があるようなところがあるのですが、それでは、昔の「大日本帝国憲法」の場合、そうした大日本帝国憲法の正当性の根拠は、いったいどこにあったのかというと、これが多少複雑で大まかに言うと、次のような三つぐらいの内容があげられるのではないかと思われます。
まず一つめは、大日本帝国憲法の前文を読むと(現代人だと、現代語訳で読んだ方が意味が簡単にわかります)、古代の日本の神話から連なる天皇制の話が述べられているので、要するに大日本帝国は、2000年以上昔の古代の時代から連綿と続くとされているような(考古学的な正当性はほとんどなくて、昔の日本の神話をそのまますべて正しいとするような、かなり極端な内容になるのですが・・・)、世界に類のないような由緒正しい正当な王家によって統治されているのだ、というような点と、二つめは、現在から100年以上前の世界では、欧米の国々が世界中で最も繁栄していたので、そうした欧米の国々の優れた制度や技術や文化を見習って、日本もそうした欧米の国々のように立派な繁栄した国にしたい、というような点と、それから、三つめは、「五か条の御誓文」にも述べられていたように大日本帝国は、決して薩摩や長州といった藩閥の人々が自己中心的に支配するような国ではなく、議会の開設によって、多くの日本人の直接の支持に基づいた形で運営される正当な政府による統治が行われている、というような点であったように思われます。
それでは、明治時代の大日本帝国の政府は、本当にそうした国家の運営をしていたのかというと、実際には、古代から連綿と連なる天皇制は名前ばかりで、ほぼ欧米的な政治体制になっていたし、また欧米の国々ですら数百年かけて成し遂げた近代化への道筋は、その後、数十年かけてもなかなかゆっくりとしか進まなかったし、それから明治時代の日本人の平均的な民度の問題もあるのですが、現代風に言うと、おそらく明治時代の政府の国民からの支持率は、多い時でも十数パーセント、悪い時には、数パーセント程度だったと思われるので(明治時代の政治や社会の改革は、当時の大多数の人々に対して、常に社会的な立場や仕事や生活上の非常に大きな変化や努力を強いるようなものばかりだったので、当時の事情として、ある程度仕方がないようなところもあったのですが・・・)、当時の明治政府の指導者の人々の本音としては、とてもではないが欧米のような議会制度をそのまま導入したら、即座に国中大混乱になるのではないかと危惧されていたはずなので、実際には、いろいろと口実を設けては、選挙の導入を先延ばしにしたり、選挙を行っても、そう簡単に政府に楯突くような個人や団体が出てこないように、かなり断固とした反民主的な体勢を整えてゆくようなところがあったのです。
ですから、大日本帝国憲法の実態としては、確かに憲法の体裁としては、それなりに欧米の国々と肩を並べるようなしっかりした形式になっているようなところはあったのかもしれませんが、それでは、そうした憲法が成り立つための正当性としてはどうなのかというと、実際には、明治以降の天皇制は、古代の天皇制とはかなり違った欧米的な政治体制になっているし、また欧米の国々と肩を並べるような近代化はなかなかゆっくりとしか進まなかったし、それから議会の開設も建前として明言されているだけで、実際には、民主主義政治とはかなりほど遠い政治体制になっていたようなところがあったので、こうした観点から現代の日本人から見ると、それほど歴史的にも、政治的にも、道義的にも正当とは言いかねるようなところがあったのではないか、ということです(参考)。
Cecye(セスィエ)