3、そもそも人間のような知的で創造性の高い生物は、生来的に常に新たな遊びや楽しみを追い求め続けるような性質があるようなところがある
三つめは、これは少し変わった指摘になるのですが、実は、多くの人々の深い信念や思い込みとはかなり違って、そもそも人間のような知的で創造性の高い生物というのは、生来的にかなり遊び好き、というか、常に面白い楽しいものを探し続けてゆくような性質があるものなのです。
そうすると、特に現在のように文明が発達してきて、世の中に様々な物やサービスが数多く出回るようになってくると、どうしても、そうした人間の生来の遊びや楽しさを求め続けてゆくような性質が、だんだん、あちこちで表に現れるようになってきて、やがて、そうした人間が大勢で暮らしている社会全体が、だんだん楽しみや悦びで満ち溢れるような世界に変わってゆくようなところがあるのです。
大まかな要点としては、だいたい次のような二つのことが言えます。
一つめは、これは単純なことですが、そもそも人類のような知的で創造性の高い生物というのは、例えば、他の生物が何とも思わない、まるで当たり前の自然の状態のように感じていることを、「あれ、これはどうして、こうなっているのかな?」とか、「こんなことは嫌だから、別のやり方はないかな?」とか、「いててて! こんな痛いことは、何とか少しでも工夫して減らせないかな」とか、「わあ、これって面白い。何回もやって、遊んじゃおう!」とか、「わあ、星空って、きれいだな。何とか空を飛んで、あの遠い星まで行けないかな?」とか、「この木や石を上手に使うと、前より簡単に食べられるや」などというように、次から次へといろいろなことに関心を持って、やってみては、「これは良かったけど、これはダメだった」などというように、いろいろ考えては、仲間に伝えてみたり、また、そうした物事を一つ一つしっかり覚えておいたり、いろいろな手段で記録に残そうとするような性質があるものなのです。
Cecye(セスィエ)