三つめは、これは非常にスピリチュアルな物の見方になるのですが、できれば、何らかの形で、ある程度は霊的な感覚がわかるようになって、霊的な感覚として、良い感じを受けるものはよしとするけれども、そうではなく、そうした霊的な感覚として、あまり良い感じのしないものは、できるだけ避けるようにするとか、できるだけ心地よい、きれいな美しいものをよしとして、そうではない、あまり心地よくない汚い醜いものは避けるようにするような精神性を身につけておくことが望ましいと思われます。
それというのは、たいてい豊かな経済社会というのはイコール、わりと安くて、良い品物やサービスが、いくらでも手に入るような物質的に過剰な社会になりやすいものなので、やがて、そうした精神性を身につけていないような人は、豊かな社会になればなるほど、だんだん自ら望んで、あっちもこっちも散らかり放題で無秩序に物やサービスに取り囲まれているような、ほぼゴミの山のような家や部屋の中で生活するようになる可能性が高いからです。
ですから、できれば、ある程度、スピリチュアルな感覚を磨いて、できるだけ霊的に心地よい、清潔できれいな身なりや環境を好むような精神性を磨いてゆくことは、とても大切なのではないか、と思われます。
四つめは、これは少しレベルの高い話になってくるのですが、実は、ここ数十年の歴史の感覚ぐらいしか知らないような人には、あまりよくわからないかもしれないのですが、ちょうど今頃以降ぐらいの物質的にも非常に豊かで、しかも精神的にも、あまり束縛のないような時代というのは、数百年ぐらい昔の多くの人々の目から見ると、ほぼ理想郷と言ってもよいくらいの素晴らしい世界になってきているのではないか、ということなのです(昔は、特に暴力や犯罪的な活動を行っているわけでもないのに、ちょっと宗教的、思想的、政治的に違っているだけで、ものすごい迫害や弾圧やいじめに遭うことが多かったので・・・)。
そうすると、これは今までの話とは少し違った話になってくるのですが、もし霊的な価値観をある程度、受け入れられるのであれば、物質的にある程度不足のない十分豊かな生活をしつつ、その上で余った時間に祈りや瞑想をしたり、霊的な聖地のような所に出かけてみたり、あるいは、いろいろな専門の先生について、様々なことを学んだり、様々な霊的な体験を積んで、スピリチュアルな生活をしてゆくことは、これは、ほんの数百年ぐらい昔に生きていた多くの人々の目から見ると、まさしく、本当にある種の夢や理想そのものと言ってもよいような豊かな人生を送れる時代になっているということをしっかりと理解して、そうしたスピリチュアルな視点から最も意義があり、また最も満足感や幸福感の高い人生を生きてゆくことは、とても大切なのではないか、と思います。
Cecye(セスィエ)
2015年6月22日 9:07 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 教育 / 社会、文化