③できれば、子供時代に自分自身や他の人々の幸せを単純に肯定できるような考え方を身につけることが望ましい
三つめは、特に子供時代において、一昔前からの教育法の通り、「教師や教科書が教えた通りなら○、間違いなら×」などというような非常に画一的な教育法で、その人自身の個性や幸福を無視して、一方的に人間の良し悪しを決めつけてゆくような教育を受け続けていると、そうした教育を受けた人々の中には、その後の人生で、その人自身の本当の幸せや心地よさを単純に感じられなくなったり、受け入れることができなくなるような事態になることもあるので、とても注意が必要です。
つまり子供時代にその人が、本当にやるべきことをやらなかったり、他の人を傷つけたり、苦しめたりした場合には、その人のことを思って、本気で注意したり、叱ってあげることは、とても大切だと思うのですが、そうではなく、単にテストの点数程度の問題で、「お前は馬鹿なんだ」とか、「あなたの成績は、2や3で大したことないのよ」とか、「なんでお前は、みんなと同じことができないんだ」などというような画一的な教育しか受けられないような状況が、ずっと続いている場合には、結果としては、いくら社会全体が物質的に豊かになったとしても、そうした子供時代に受けた否定的なエネルギーがあちこちに回り回って、様々な犯罪が起きたり、非常に不幸な精神状態の人々が増え続けるような状況になることがあるので、非常に注意が必要なのではないか、ということです。
ですから子供時代には、できるだけ、その人の将来に必要な学力や能力は身につけられるように導いてゆくが、その際には、その人独自の個性や人格や自信も一緒に伸ばしてあげるような教育を心掛けていないと、長い意味では、いくら学力や能力を伸ばしても、その人自身は、あまり幸せを感じられないような性格になってしまうこともあるので、非常に注意が必要なところがあるようです。
Cecye(セスィエ)