⑯自分の心の中に、何か強い精神的な衝動を感じる場合には、一度、何らかの形で行動してみると、人生の大きな転機が訪れることがあるかもしれない
第十六には、これは、ほんの一部の人々や、あるいは、ほんのひと時の体験に限られることが多いものなのかもしれないのですが、人間の人生というのは不思議なもので、ある時、突然、まるで天啓のように何らかの閃きを得ると、「なぜかはよくわからないけれども、どうしても、あることがやってみたくて、仕方なくなってきた」とか、「なぜか急にそれまでやっていたことがつまらなくなって、別の何かがしたくて溜まらなくなってきた」とか、「よくわからないけれども、自分が気になる誰かに会いたくなったり、どこかに行ってみたくて、仕方なくなってきた」とか、「何かをやりたい衝動が、どうしても止められなくなってきた」というような時があるものなのです。
こうした精神的な衝動のようなものは、たいてい、どんな人の人生にも一度や二度は必ずあるものなので、そうした時には、どんな人であっても、多少ドギマギしてしまったり、あるいは、どうしたらよいのか、わからなくなってしまったりするものなのですが、こうした時の行動のあり方としては、大まかに言うと、次のような二つのことが言えます。
一つめは、これは単純で、もし時間がとれたり、金銭に都合がある場合には、とにかく一度でもよいから何らかの形で、そうした自分にとって、ものすごく強い衝動が感じられるようなことをやってみたり、あるいは、そうしたことに関係する人に会ってみたり、そうした場所に行ってみたりすることです。
その結果、そうした直感通りに、自分の人生に何か大きな変化を与えるような良い出来事があることもあれば、そうではなく、全く何の良い出来事もないようなこともあるかもしれないのですが、ただ、人間の人生というのは、あまりに長期間、大した変化のない状態が続いてゆくと、だんだん、そうした自分の人生そのものに退屈し出してきて、毎日、何をやってもあまり面白くないとか、何を見聞きしても、何の感動も新鮮味も感じられないというような万年不幸状態になってきてしまうこともあるので、とにかく今まで、まだ一度も体験したことがないような、何らかの意味での新たな体験がある場合には、そうした新たな体験に、ほんの少しだけでもよいので身を投じてみるのは、長い意味では、よいことになるかもしれないということです
やがて、そうした体験の過程で、その後、何らかの形で、その人独自の天職のようなものに出会う人も、とても多いように思われます。
追伸
「戦前戦中の「大日本帝国」と、戦後の「日本国」の違いについて Part 4」の最後の方の部分に、幾つか文章を付け足しています。興味のある方はご覧ください。
Cecye(セスィエ)