前の話の補足になります。
※特に戦前戦中の日本の歴史を調べると、何となく、どす黒くて変な印象があるのですが、それは当時のマスコミの発表や、現在残っている歴史上の記録に、かなり大きな嘘や間違いが含まれているからだと思われます(当時は、大日本帝国独自の機密機関もあったので、多分、それらしい証拠をそろえて、でっち上げられた話や、歴史の闇に揉み消された話も、たくさんあったものと思われます)。その上、さらにややこしく感じるのは、戦後、日本を統治していた連合国の側も、戦後の日本の統治をより円滑に進めるために(つまり、戦後の世界秩序の安定化と、日本国内の内乱防止のために)、連合国による軍事裁判はあって、一見、かなり公正な裁判が行われたかのように見えるけれども(私は、結果としては、それほど悪いものだったとは思っていないのですが・・・)、戦前戦中の連合国の活動、並びに日本の天皇や側近の動向に関しては、基本的に、ほぼ罪を問わないか、あるいは、かなり脚色した嘘の見解もよしとするようなところがあったからだと思われます。
※つまり、当時の非常に複雑な、ややこしい事情からケースによっては、当時の連合国側の人々も、当時の日本の政治家や軍人も、一緒に話を合わせて嘘をついていることもあったので、現在残っている歴史の資料自体が間違っていることがあるのではないか、ということなのですが(よく調べると、当時の昭和天皇や、首相や大臣や軍人の話が全く一致せず、不可解なところがたくさんあります)、私は、特にそうした人々を責めればいいというような立場には立たず、できるだけ正確な事実に基づいた、公平な正しい物の見方を持つべきではないか、というような見方を持っています。
※現代風に、当時の事情をわかりやすく説明すると、こんな感じになるのではないかと思われるのですが、大まかに言うと、終戦直後の連合国側の立場としては、「ここで天皇や側近の戦前戦中の行動をそのまま公にしてしまうと、裁判では、当時の昭和天皇も完全に有罪になって、処刑になってしまうが、そうするとその後、それを旗印にして、あちこちで内乱が起きる可能性が高いので、そうした大変な状況は、できるだけ避けたい(当時の状況として、それ以上の混乱や被害を少しでも防ぎたかった)」とか、「終戦直後の日本の状況だと、天皇制の形だけは、そのまま残しておくようにしておけば、その後も、わりと穏やかな形で日本の占領政策と民主化を進められるのではないか(当時の日本国内の特殊な状況を考慮して、いわゆる明治時代の元勲達が考えた原理を、そのまま応用したような状況だったものと思われます。参考)」というような考えがあり、また、終戦直後の日本の政治家や軍人の立場としては、「本当は自分が決めたことや、やったことではないことであっても、自分の責任ということにしておかないと、どうやら今後の日本は大混乱して、大変な事態になってしまいそうなので、仕方がないから、この話は全部、自分の責任ということにしておくしかないのか」とか、「本当は、当時の昭和天皇に一つ一つしっかりお伺いを立てて、一応、きっちりした仕事をしていたつもりだったのだが、それを正直に全部言うと、天皇家がつぶれてしまい、国内が大混乱になってしまいそうなので、これは軍部の○○の暴走とか、これは政治家の○○の独断などというように、開戦前の数十年の出来事の責任を、みんなでうやむやにしてしまうしかないのか(おそらく、当時のそうした状況から、軍事裁判の途中で自殺しようとするような人が、何人も出たのではないでしょうか)」などというように、はっきり言うと、当時の日本の指導者の側も、また連合国の指導者の側も、両方である程度、口裏を合わせるような形で、戦後の日本を、できるだけあまり混乱のない形で、平和な民主主義国に移行させてゆくために、戦前戦中の、特に当時の昭和天皇の政治や軍事に関わった内容については、みんなでうまく誤摩化して、歴史の話を嘘で塗り固めてゆくようにしたようなところがあったのではないか、ということなのです。
※明治時代に作られた大日本帝国の政治制度というのは、簡単に言ってしまうと、当時の内憂外患の時代の日本において、「天皇」というかなり神格化された虚像を国民の通津浦々に信奉させながら、国家の独立の維持と近代化を押し進めてゆこうとするような政治制度だったので、よく調べてみると、本当は政治家や軍人の別の有力者がやったことを、あたかもその時の天皇の手柄にしたり、あるいは、本当は天皇の責任になることを、別の政治家や軍人や役人の責任にするような、はっきり言うと、常にかなり責任が曖昧な無責任体制にしてあったようなところがあります。ですから戦後の現代人の立場としては、「いろいろ記録は残っているようだけど、要するに、これは最終的には、誰の責任でやったのかな?」とか、「結局、これって最終的に誰がOKを出した結果、できたのかな?」とか、「これができなかったのは、結局、この人が大反対したからなんだね」などというように、表向きの立て看板ではなく、その時々の実務上の最終決定者や最終責任者が、いったい誰で、いったい何をした結果、そうなったのか、というような実際の事実を、ある程度推測しながら調べてゆかないと、なかなかよくわからないようなところがあるようです。
続く・・・(またまた不定期に続きが載る予定です)
追伸
昔の大日本帝国の時代には、特に当時の天皇は、「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれて、当時の日本国内では、あたかも地上の世界の神の一人のような扱いを受けていたので、現在もこうした物の見方は、地上の世界の一部にかなり大きな影響を与えているようです。
霊的に見た場合、たとえ天皇に「天」や「皇」という文字がついていたとしても、歴史上、常に日本の天皇が「天界」や「神仏」と直結するような霊的な状況にはなっていたとは全く言えないし(当然のことですが、「◯◯天皇」、「△△天皇」というように一人一人の天皇や皇族についての天界での評価は全く異なっています)、また特に昭和前半の日中戦争や太平洋戦争に関しては、天界や神仏の意思とはかなりかけ離れた形で、地上の世界の一部の人々が企てた戦争だったので、ここでは、特に例の歴史教の影響を考慮して、当時の昭和天皇・裕仁の立場を、ある程度明確にしておきたいと思います。
Cecye(セスィエ)