大日本帝国に関する話で、日本の教育やマスコミで正しく説明しないことが多いと思われる内容としては、大まかに言うと、次のような三つのことが言えます。
まず一つめは、当時の大日本帝国の陸海軍の最高司令官は、昭和天皇・裕仁になっていて(つまり、当時の大日本帝国陸海軍の最高司令官は、当時の総理大臣でも、陸軍や海軍の元帥(げんすい)でも、大臣でも大将でもない)、よく巷で話にのぼる当時の「大本営」というのは、当時の昭和天皇が最終的に責任を持って指揮する、天皇直属の日本陸海軍の指揮所であると共に、戦争前の時点では、当時の日本国内の出版や報道を、ほぼ完全に取り仕切れるような報道機関であったということです(例の「大本営発表」というやつです)。
二つめは、太平洋戦争の敗戦時の「終戦の詔(みことのり)」はとても有名なのですが、当時、昭和天皇が、かなり意気揚々と国民の戦意を高揚するような形で、当時のアメリカやイギリス、オランダなどの連合国と開戦することを宣言した「開戦の詔」に関しては、戦後、ほぼ完全にひた隠しに回ろうとすることが多いことです。
日本の教科書やマスコミの報道では、よく「日本が宣戦布告した」とか、「日本は、真珠湾攻撃でアメリカやイギリスと開戦した」というような表現が見られるのですが、本当は、そうした太平洋戦争の「開戦の詔」の文章を読む限り、当時の事情として、いろいろあったとしても、最終的には、当時の昭和天皇・裕仁自らが(つまり、当時の総理大臣や陸軍や海軍の元帥や大臣や大将ではなく)アメリカとイギリスに宣戦布告して、その指揮と指導の下に、当時の日本国民(当時は天皇の臣民)が戦争を遂行したということです(参考)。
それから三つめは、戦後の民主主義国の日本と違って、大日本帝国の時代には、ほぼすべての政治家や軍人は何かにつけ、その時々の天皇や皇族の所に行って、最新の情報を伝えたり、重要な判断を仰いだりして、日本の政治や軍事の最終決定をしていたのに、そこを戦後の民主主義国・日本のイメージを使って、そうした大日本帝国時代の天皇の立場や責任を、何となく誤摩化そうとしていることが多いということです。
それというのは、戦後の首相や内閣の立場と、戦前戦中の首相や内閣の立場は、ほとんど正反対と言ってもよいくらい全く異なっていて、基本的に戦前戦中の日本の首相や内閣は、その当時、絶対的に神聖視されていた天皇の代理として政治や軍事を取り仕切るような立場だったので、そこを戦後の首相や内閣のイメージで考えさせようとするのは、全く間違っているのではないか、ということなのです。
※単純に言うと、戦後の日本と違って、戦前の日本の首相や大臣は、いくら立憲君主制になっていたとしても、基本的には、その時々の天皇の意を汲みながら、天皇の代わりに国政を行うような政治上の役職になっていました。実際、戦前は「当時の皇族の身をしっかり守れなかった」とか、「天皇の意と違った」というような理由で、何度も内閣がつぶれています。
Cecye(セスィエ)